多様性と境界に関する対話と表現の研究所

アートカウンシル東京

【連載】関西出張レポート⑤_たんぽぽの家 ひるのダンス

2016年8月30日〜9月1日に、「もやもやフィールドワーク 調査編」の一環として行った、関西出張の振り返り連載。
第5回目は、たんぽぽの家 ひるのダンスについて、研究員の石橋によるレポートです。

*本連載は、既存のありかたに捉われずに「多様な人々が共にある」ことを実現しようとしている現場を訪問し、研究員が感じたことや考えたことを掲載していきます。その場は、どのようにして生まれるのか。そこでどのようなことが起こり、何がつくりだされるのか。お楽しみいただければ幸いです。

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■たんぽぽの家
 奈良の「たんぽぽの家」は、障害のある人のアートに関するさまざまな先進的試みをおこなっている施設・団体として広く知られている。今回の関西出張では、そこに通うメンバーの日常的な活動としておこなわれている、舞踊家の佐久間新さんによる「ひるのダンス」の時間にうかがった。朝、メンバーの表現活動の拠点である「アートセンターHANA」での活動を見学し、スタッフから事業説明をしていただいた後、お昼ご飯を食べ、ダンスがおこなわれるというギャラリースペースにうかがった。

たんぽぽダンス1

■ひるのダンス
 佐久間さんと、たんぽぽの家スタッフの藏元さんが、床に敷くマットと楽器をいくつか持ってくる。私たちも、マットを敷くのを手伝っていると、参加メンバーがぽつりぽつりと集まり始めた。佐久間さんは、インドネシアのガムランで用いられる太鼓クンダンを、トントンと静かに叩いている。やがて、メンバーも、自然に別の楽器をたたきはじめ、声による掛け合いも生まれてくる。そうこうしているうちに、メンバーが増えていく。車椅子の方がやってきて、マットの上に寝転ぶ。そこに、藏元さんが手足を絡ませていく。どうしよう、いつの間にか、始まっている。どういう関わり方をするのが、この場へのいかたとして、適切なのだろう。周りを見て、探り探り、メンバーと一緒に寝転んでみる。腕と腕を触れ合ってみる。しだいに、相手がどういう体勢になりたいのか、どう関わりたいのかが、自分の体になだれ込んでくるような感覚を覚えるようになってくる。自分は、それに従ったり、敢えてその期待をはずしてみたりしてみる。その後は、動き回ったり、楽器をたたいたり、あえて何もせずに観ていたりしてみた。佐久間さんは、メンバーと濃密に触れ合ったり、声での掛け合いをしてみたり、一対一で動きを同期させたり、マットの周りを歩き回ったり、離れたところにあるテーブルの上で寝転んでみたり、多様な関わり方をしている。
 そこには、色々な人の動きや音がある。それぞれが、それを感じ取り、合わせたり、合わせなかったりする。あるいは、あえて一歩引いた目線で見てみて、全体の空気を撹乱するような動きを取ったりする。とても複雑で、濃密で、それでいて緩やかな形で、人々が一緒にいる空間と時間だった。

たんぽぽダンス2

■振り返り
 こうして濃密な90分間が終わった後、少し休憩をはさみ、近くにある六条山カフェに場所を移した。まずは、毎回終わった後におこなっているという振り返りから始まる。参加メンバーは、佐久間さん、藏元さんと、diver-sionの井尻、三宅、石橋、アーツカウンシル東京の坂本の、計6名。途中、昼のワークショップに参加した伊藤愛子さんも加わった。このように、メンバーが振り返りの会に自由に来て発言することもしばしばあるという。
 ひとりひとりが感想を言い合いながら、参加メンバーの動きをこまやかに追っていく。あの人は、ゲストが来たときにはその文脈を考えながら関わる人で、今回もそうだった。あの人は、あの時に楽器をたたきたがっていたが、他の人が叩いているのを見て、自分で別の楽器を持ってきた。今までは、すねて帰ってしまっていたのに。あの人は、今日は外向きの顔で、いつもよりもアグレッシブで互いに拮抗し合うような関わり方をしていた。あの人は、昔は癇癪があって同じ部屋にいるのが難しかったが、今日は少し離れたところからでも同じスペースに一緒にいて、こちらをじっくり観察したり、立ったり座ったりしていた。あの人は、いつもは受け身のことが多いが、今日は腕をつかんで離さない瞬間があった。メンバーと継続的な関わりしているからこそ、見えてくる変化がある。そして、それに応じて、その場で即興的に関わり方を変えていく。
 参加メンバーの一人、伊藤愛子さんも、途中からミーティングに加わった。「ひるのダンス」には、同時間に別会場でおこなわれているプログラム「語り」の終了後に、途中参加という形だった。「他の人の楽器の演奏がうるさいときもあった。私の演奏はうるさくなかったですか?」と私たちに質問する。そこで佐久間さんが、「いいことを言ってくれていて、ふつう他の人の音を聞いていてうるさいなと思う時はあるのに、自分で鳴らしている音はうるさく感じなかったりすることがある。自分は音を出し過ぎるといけないので、気持ちにちょっとゆとりを持って、他の人の音はちょっと大きいけれど受け入れようかな、と思うと、限界はあるけれど、少しぐらいだったら楽しめたりする時もあるかな。」とフォローする。伊藤さんが、「今日の私、どうでしたか?」と聞くと、すかさず佐久間さんが、「愛ちゃん、最後ちょろっとしか来てない。もっと最初から来ていたらコメントあるけれど、ないよ、あんなちょっとだけで。もっと最初から来てくれないと。」と柔らかい口調で指摘する。そこには、長年の信頼関係があるからこその、表現者同士の真剣なぶつかり合いがあった。

■インタビュー
 振り返りの時間の後は、佐久間さんへのインタビューをおこなった。
 初めに、このプログラムが始まった経緯についてお聞きした。佐久間さんがたんぽぽの家に通い始めたのは、2004年。その時は、「エイブルアート・オンステージ」という明治安田生命社会貢献プログラムの一環としておこなわれた。その後、職員とも一緒にダンスをする場を持ちたい、という話になり、月2回、夜に職員とたんぽぽのメンバーを交えて体を動かす時間を設けることになったという。そして6年前、改めて、メンバーの日常的な活動の一つとして、昼にダンスのプログラムを始めることになった。その際、まだ顔も名前も知らないメンバーもいて、2004年にやったメンバーの他にもダンスをやりたい人がいるかもしれないので、と、通うメンバー全員にダンスを体験してもらった。参加希望を取り、その中でも興味を持った人の名前が名簿になった。それ以降は、その中から毎回5~8人のメンバーが参加しているが、基本的には来たい人が自由に来ることができる。名簿に載っていないがいきなり参加する人や、名簿に載っているが長らく参加していない人もいるという。
 次に、継続的に関わっていく中での、メンバーや佐久間さん自身の変化についてお聞きした。初めは、一人一人のいろんな特徴を考えて何かができないか、ということを模索する日々だったが、思い通りにいかないことの連続だったという。思い通りに動けない、思い通りの音が出せない、来ると言っていた人が来ない、来る予定にない人が来る、途中でどこかに行ってしまう…しかし、それを受け入れながら続けていくと、場が少しずつ変容してくる。いろいろなことが許容できるような場が立ち上がってくる。「ちょっとずつ自分の許容量が増えてきて、そうすると不思議と鳴っている音がちょっといい音に聞こえてくる。誰が鳴らしているかもわからない音だったら許せない音でも、この人が今鳴らしたいんやな、こういう音を、と思って聞けるようになると、それほどストレスは感じない。そこから自分で鳴らす音も、だんだんと受け入れるようになってきた。そうするといい音が鳴り始める。」
 次に、佐久間さん自身のダンスの場の中での振る舞い方として、意識していることについて聞いてみた。はじめは、信頼関係をつくるため、片時も目を離さずにやりとりをするように意識していた。しかし次第に、敢えて背中を向けてみたり、無視をしてみたりするような駆け引きをおこなうことも増えてきたという。また、ワークショップの最中は、その段取りについて全くしゃべらないことも多い。言葉で指示を出さずに、複雑な波のうねりや混沌のダイナミズムに身を任せながら、それにちょっとだけ影響を及ぼすような動きや音を探っていくような場への関わり方をされているという。
 最後に、このダンスワークショッププログラムのこれからの展望についてお聞きした。ここ一年くらいで、参加しているメンバーが、この時間にこんな面白いことをやっているということを、そしてゲストが来たときなどには見られているということを、明らかに意識するようになってきた。このように、以前よりもやっていることに強度が生まれてきたので、それを舞台か、映像か、公開ワークショップか、出張ワークショップか、何らかの形で発表をすることも考え始めているという。また、外から見ると、福祉的な意味合いでやっているのではないか、注目されるためにやっているだけなのではないか、と勘違いされたりすることも多いが、佐久間さん自身はあくまでも障害のある人と「ダンスパートナー」として関わっている。外にどう受け入れられるのか、ということも考えながら、お互いにアイデアを出し合い、より対等な関係をつくっていきたいという。

■おわりに
 とても濃密な時間だった。それぞれの身体、それぞれの文脈、それぞれの意思が絡み合い、それらが複雑なダイナミズムをつくりながら、うねっているような感覚だった。佐久間さんのダンスの場は、事前に段取りを決めず、いつ始まったのか、いつ終わったのかもはっきりしないことも多い。その場で起こったことの波に乗ったり、乗らなかったり、別の波を起こしてみたりする。それは、逆説的だが、メンバー一人一人と丁寧に関わり合ってきたからこそできる場づくりであるように感じられた。あるメンバーの動きは、いつもとどう違うのか。それにその場でどう気づき、どう反応するのか。そこには、振り返りの途中の伊藤さんと佐久間さんのやりとりが象徴しているように、ワークショップの講師と受講生の関係、ケアする人とされる人の関係ではなく、ダンスパートナーとしての、そして人間としての、対等な関係があった。
 多様な人が、多様なままにいることができる場。その実現のためには、緩やかで、可変的で、その場で起こったことを常に柔軟に取り入れていくことができるような枠組みが必要である。そして、それを場として成立させるためには、その場を持つ人とその場に参加する人が、互いの動きや音とその変化に注意を払い合い、対等な協働のパートナーとして、時にぶつかりながらも関わり合い続けることが大切なのではないだろうか。

(石橋鼓太郎)