多様性と境界に関する対話と表現の研究所

アートカウンシル東京

【連載】関西出張レポート③_釜ヶ崎芸術大学・大学院2016

2016年8月30日〜9月1日に、「もやもやフィールドワーク 調査編」の一環として行った、関西出張の振り返り連載。
第3回目は、釜ヶ崎芸術大学・大学院2016について、研究員の井尻によるレポートです。

*本連載は、既存のありかたに捉われずに「多様な人々が共にある」ことを実現しようとしている現場を訪問し、研究員が感じたことや考えたことを掲載していきます。その場は、どのようにして生まれるのか。そこでどのようなことが起こり、何がつくりだされるのか。お楽しみいただければ幸いです。

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■はじめに
釜ヶ崎芸術大学は、だれでも受講できる“大学”である。
受講料は無料。
「天文学」「哲学」「俳句」に「合唱」。「SF」や「美術」、「ダンス」。多種多様の開講講座から、いつでも、好きなものを選んで受講することができる。

講義が行われるのは、大阪市西成区の日雇い労働者の街・通称『釜ヶ崎』にある、西成市民館や西成高校、太子老人憩いの家など。
ときに、町なかでフィールドワークが行われることもあるし、三角公園で「冬の星座をみる会at越冬闘争」などが行われる場合もある。

その日の「詩」の講座は、「ゲストハウスとカフェと庭 ココルーム」の緑眩しい庭で行われた。

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講師は、上田假奈代さん。詩人であり、この「釜ヶ崎芸術大学」を運営する特定非営利活動法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)の代表でもある。

最初に、「学生証、持っていますか?」ときかれた。
「いいえ」と答えると、その場で学生証を発行してくれる。スタンプカード形式になっていて、講座を受講するごとに、1つスタンプを押してもらえる。
庭に置かれたテーブルごとに、5、6人ずつなんとなく分かれて座る。
新しいカードに押された、1つめのスタンプを眺めていると、ゆるりと、講座がはじまった。

■講座「詩」
参加者は、17名ほど。最初に、1人ずつ自己紹介をする。

ココルームに宿泊しているという、全国バックパック旅行中の学生。
先日、別の場所でかなよさんのワークショップに参加して楽しかったから、という女性。
詩を書くのははじめてという男性。
釜ヶ崎のおじさん。

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ふだん、なかなか話をする機会がないだろうと思われる、20代〜60代くらいまでの、男女が集まっていた。

「今日の講座では、詩をつくります」という假奈代さん。
その方法:ココルームのプロジェクトから生まれた、他力本願詩(假奈代さん談)「こころのたねとして」とよばれる方法が説明される。
* この「こころのたねとして」が生まれた経緯は、書籍『「こころのたねとして」~記憶と社会をつなぐアートプロジェクト』に詳しくまとめられている。とてもおもしろいので、機会があればぜひお読みいただきたい。

その手順は、実にシンプル。
基本的には、下記のような流れで行われる(これに、そのときどきでアレンジが加えられる)。
1.ウォーミングアップ。ストレッチをしたり、その時の気分で。
2.二人一組になって、インタビューをしあう(交代で6-8分程度ずつ)。
3.聞いた内容を、詩にする(12-20分くらい)。
4.ペアになった相手に向かって、できた詩を朗読する。

さっそく、ウォーミングアップの時間がはじまる。
テーブルごとに、詩集が配られる。
詩集を手にとり、気になった詩を一つ選ぶよう指示される。選んだ詩を、朗読しあう。

少し、緊張している声。
読んでいるうちに、少しほぐれてくるようでもある。
なんでその詩を選んだのか、も付け加える。
詩をとおして、すこし、まだ知らないその人がみえる気がする。

朗読が終わったら、2人ずつペアになる。
「誰とでもいいけど、なるべく話したことのない人と」と声がかかる。
私は、隣に座った初対面の男性と、ペアになった。

次は、インタビューだ。今日のテーマは「旅」(全員共通)。
時間は7分。
7分という時間は、短いようで、長く感じた。

時間がきたら、こんどは一人ずつ、詩作をはじめる。12分。
え!たった12分で詩がつくれるの?と聞いた瞬間は思った。
が、つくりはじめて、この短さがよいのだと思った。
短いから、あれこれできない。語られた言葉を組み合わせ、あるいはそのままに、詩にしていく。

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時間がきたら、おしまい。
最後に、全員で朗読をして終わる。

ペアごとに前に出て、つくった詩を読み上げる。
ペアになった人が詩を読み上げているとき(その詩には自分が語ったことが現れている)、みな、照れくさそうにしているのが印象的だった。

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■「釜ヶ崎芸術大学」という場
「釜ヶ崎芸術大学」は、「権威ではなく、寄せ場の背景を持つ釜ヶ崎こそ、本当の意味で学びあう大学と言えるのではないか」という思いから、2012年に始まったという。先にも述べたように校舎を持たず、地域のさまざまな施設を会場に借りている。講座という形をとりながら、ココルームの日々の活動、まちの諸活動とも連携し、保育園、中学校、高校、そして各地へ旅することもあり、縦横無尽に大学活動をしている、という。

2013年3月の対談(上田假奈代と、哲学者・鷲田清一の対談。『釜ヶ崎で表現の場をつくる喫茶店、ココルーム』に収録されている)によると、2012年11月から42コマ開講し、571人が受講。その8割、 9割が釜ヶ崎のおじさんたち、とある。現在は2016年だから、開講数、受講者数はさらに増えているだろう。
その対談の冒頭で、上田はこのように語っている。
「(釜ヶ崎のおじさんたちは)最初は落ち着いて自分の気持ちをしゃべったりとか人の話をじっくり聞くということに慣れていないようでした。ワンカップを持って、“ヘーッ”て覗いて、“ワーワー”言って帰る人もいっぱいいたけど、何回もやっているうちにだんだんと馴染んで座りだす人も出てきました。」
そういう人が参加するうちに、作って読んだりするのにだんだん慣れてきて、あるとき詩を書いたという。
「おじさんたちがこうやって、自分の気持ちを表してくれる、差し出してくれるということが嬉しかったですね」。

だがそれは、ただ回を重ねたから実現されたことではないと思う。なにかを表し、差し出したとき、受け取る人がいる、受け取る場があるということ。それが、感じられるからこそ、人はそこに自分を馴染ませ、表していくことができるのだろう。
上田は、こうも語っている。
「釜ヶ崎でココルームの活動を始めて数年目に、人は安心した場所で、やっとこころから素直に表現できるんだなと気づいたんですよ。でも、なかなか安心してしゃべれる場ってないんですよね。私がはじめた「こころのたねとして(こたね)」という詩の作り方は、そういう場を瞬間的に作って行う一つなんですね。」

■「こころのたねとして」という場
「こたね」では、二人組になって、話をし合い、聴き合って、詩をつくる。だから、わたしと、もう一人の人生が重なっていく。「人生が重なったことばは分厚くなる」と上田はいう。

今回の講座で私は、ペアの方が朗読をしたとき、とても不思議な気持ちになった。
その詩に現れているのは、たしかに私の語ったことばだ。
でも、私が話した以上のことが、その詩では語られていた。
それは、私のことばが足りなかったところを、想像力でおぎなってくれたとも言えるかもしれない。ただ、そのことが、「あ、この詩のなかには、この人の人生も入っている」と実感させられる仕方で表れているように思えたのだ。
ただ装飾的に用いたことばというよりも、生きたことばが加わっているという感覚。
あれこそが、上田のいう「人生が重なったことば」だったように思える。

■おわりに
詩というものがなにかよくわからないまま、詩とよべるようなかたちにしていく。
語られたことばをメモし、そのメモを見返し、少し迷う。
並べ替えるか、ことばを足すか、いや、このままで十分と思ったりもする。
そうして、一遍の詩というものになんとか仕立て上げるとき、それはもはや、私が書いたように思えない。
それは語った人のことばでも、語られた人のことばでもない、そのあいだに生まれたことばになっている。
<ひとの言葉と言葉が重なり合う、響き合う。>
そのことを実感した。

そしてそれは、ただ、二人のあいだだけに生まれたものではないのかもしれない。
それを生み出す土壌が、「釜ヶ崎芸術大学」や「ココルーム」という場がゆっくりと育まれてきたからこそ、生まれたものなのかもしれない。
あの庭。差し込む光。プラスチックの椅子の座り心地や、麦茶の味、時折吹き抜ける風。
一緒に思い返される、それらまざりあった経験そのものが、まぎれもない、「詩」の経験だったように思う。

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* 参考文献
・ 『釜ヶ崎で表現の場をつくる喫茶店、ココルーム』上田假奈代、2016年、フィルムアート社
・ 『「こころのたねとして」~記憶と社会をつなぐアートプロジェクト』岩淵拓郎・原口剛・上田假奈代、2008年、特定非営利活動法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)

(井尻貴子)