多様性と境界に関する対話と表現の研究所

アートカウンシル東京

【連載】関西出張レポート②_エコゾフィー研究会「共有空間の獲得」

2016年8月30日〜9月1日に、「もやもやフィールドワーク 調査編」の一環として行った、関西出張の振り返り連載。
第2回目は、エコゾフィー研究会「共有空間の獲得」について、研究員の三宅によるレポートです。

*本連載は、既存のありかたに捉われずに「多様な人々が共にある」ことを実現しようとしている現場を訪問し、研究員が感じたことや考えたことを掲載していきます。その場は、どのようにして生まれるのか。そこでどのようなことが起こり、何がつくりだされるのか。お楽しみいただければ幸いです。

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■はじめに
 美術家の小山田徹さんは、「共有空間の獲得」をテーマに、共同運営のカフェ、屋台、小屋、たき火などの様々な場作りを、アートの手法を用いて行ってきた、先駆的存在である。小山田さんの手がける「共有空間」は、どのようにつくられているのだろうか。今回は、人間、環境、社会の関係を生態学的視点から捉える研究者による分野横断的な研究会「エコゾフィー研究会」で行われた小山田さんのレクチャーに参加し、「共有空間」について考え、体験する機会を得た。

■エコゾフィー研究会
 阪急電鉄・桂駅からバスに乗り、山の斜面に建つ、京都市立藝術大学へ。人影のまばらな夏休み中のキャンパス。どこからかガムランを練習する音が聴こえてくる。
 「エコゾフィー研究会」と手書きされた看板を見つけて中庭へ出ると、小さなログハウス風の建物の前に、10名ほどの人が集まっていた。みんなで輪になって立ち、互いに自己紹介をする。参加者は、文化人類学・言語学・生態学・哲学・認知科学・文学理論・コミュニケーション論など様々な分野の研究者、京都市立藝術大学の学生、そして私たち「東京迂回路研究」のメンバー。「研究会」と聞いてやや身構えていたが、緑の多いキャンパスで輪になって話すことから始まった研究会に、堅苦しさは感じられなかった。夏休みの合宿か何かのように、どことなくワクワクしてくる。

 エコゾフィー研究会は、もともと、京都大学大学院人間・環境学研究科出身の研究者を中心に定期的に開かれてきた、自主的な研究会だという。今回は、レクチャーを担当した小山田さんの勤務校で、その環境を含めて体験する趣旨で行われた。さっそく、小山田さんと学生たちが中庭に建てている「図書館小屋」を見学する。開け放たれた扉から中へ入ると、こじんまりした空間は日差しが遮られ、薄暗い。木を組んで作られた棚には無造作に本が並び、古い家の書斎に忍び込んだような、しんとする気配がある。少し鄙びた隠れ家のような、ワクワク感。私ならここでどのように過ごそうかと思いを馳せながら、レクチャーのある会場へ向かった。

エコゾフィー1

■レクチャー「共有空間の獲得」
 会場の小ギャラリーに入ると、部屋の中央に置かれたテーブルの上に、大小様々な大きさの石が並んでいる。小山田さんによると、集まって何か話すときに、石を手に持って触ったり握ったりしながら話すと、不思議と場の雰囲気がギスギスすることなく、意見が「まるくなる」のだという。参加者は、色もかたちも様々な石を思い思いに手にとり、テーブルの周囲に置かれたアウトドア用のベンチに座って、小山田さんのレクチャーを聞いた。

エコゾフィー2

 小山田さんにとって「共有空間」は、すでにそこにあるものだという。しかしそれは、どこか上から降ってくるようなものではなく、獲得していくものでもある。人間の存在自体が共有空間を内包し、複数の人がいれば、そこに関係性が生まれる。人と関係を結びたい、続けたいと思うことが、共有空間を成り立たせる。その関係性を捉え、獲得する行為を、小山田さんは「愛」と言い表す。

 小山田さんが共有空間に関心を持つようになったきっかけは、パフォーマンスグループ「ダムタイプ」の活動だった。ダムタイプの中心メンバーのひとりだった古橋悌二さんのHIV感染を機に、HIV/AIDSをめぐる社会の問題について考えるようになった。議論やパフォーマンスを続けるうち、社会の問題は一つの方法で一気に解決するものではないと感じるようになり、持続的に問題解決をし続けていくような場を作ることに関心が向いていった。
 そこで、新しい出会いの場を創造する試みとして、Weekend Café、バザールカフェなどのコミュニティカフェを作った。Weekend Caféでは、週末に人々が集まる場を開いていたが、バザールカフェでは、建築から運営まで、人々が多様な形で関わることを試みた。その工夫は、たとえばカフェの建物を建てるときに、わざと共同作業が必要で、かつ特殊な専門技術を必要としない工程で作り、いろんな人が工程に関わることができるようにするのだという。そこで用いられた「抱き合わせ工法」の具体的なやり方について、エコゾフィー研究会のメンバーが熱心に質問していたのが印象的だった。「そういうことが、大事なんです」と、あるメンバーは言った。
 Weekend Caféをやっていた頃に、阪神・淡路大震災が起こる。震災の後、仮設住宅に最後まで残らざるを得なかった人たちが、不便な場所にある公営住宅にまとめて移された。小山田さんが関わった芦屋浜のマンションには、孤立した部屋で、アルコールを飲むのを止められない人などがいたという。そこで、屋台を持ち込み、こどもから老人までいろんな人に屋台のマスターをやってもらいながら、みんなで飲むことにした。小山田さんは、屋台を、「制度のなかに入っていくツール」だと言う。既存の制度ではすくいあげることのできない部分に、屋台の身軽さで入っていき、出会いの場を作る。その後も、様々な形で屋台を展開し、東日本大震災の時にも、地域に入っていった。
 共有空間の可能性を持つものとして、小山田さんは、屋台をはじめ、小屋、個人事業主による喫茶店や飲食店、テント、ハンモックなど、様々なツールを試してきた。なかでも、たき火は、人が集うための、いちばん簡単で楽な方法だという。それは、人間が太古から行ってきた、生きるための技術でもある。話を聞きながら、この後のたき火の時間が楽しみになってきた。
 近年、小山田さんは洞窟に興味を持ち、日本洞窟学会会員になり、実際に洞窟に入ることもしている。狭い洞窟に身をよじるようにして入っていき、洞窟の奥を潜り抜けてまた戻ってくると、身体の感覚が変容しているのを感じるという。この身体拡張の感覚が、どのように起こるのか。その感覚は、他のどんな感覚と関わっているのか。それは、たとえば小屋に入ったときに「共有」の感覚がどうして起こるのか、小屋のありようが身体感覚の変化にとってどのような意味があるのか、という問いと関わり合っている。茶室や庭園、教会や寺などの建物で体験される、時間と空間の感覚変容は、人々の共有空間を考える上で興味深いテーマだと、小山田さんは語った。

 

■たき火と語らい
 レクチャーの後、再び中庭へ。草の茂った斜面の上に見晴らしのよいデッキがあり、そこにたき火が設えられていた。

エコゾフィー3

 

 火を囲んで集まり、自然と手をかざす。パチパチと燃える火の音や匂い。さっきまで真剣な面持ちでレクチャーを聞いていた人々の表情がゆるみ、ゆるゆると話しだす。黙って火を見つめながら、ぼんやりと聞いているのも、また、いい。蚊が多かったので、虫よけスプレーの貸し借りもした。

 

エコゾフィー4

 

 たき火の仕掛けは、とてもシンプルだ。一斗缶くらいの大きさの箱型に取っ手をつけたものと、古い焼却炉のようなもの。小山田さんは、いとも簡単に火をつけ、ときおり火の面倒を見ながら、ちょうど気持ちのよい大きさの火を保っているようだった。そこには、これまでいろんなところでたき火を行ってきた技術があるのだと思う。小山田さんによれば、大きな火は人を高揚させるが、その高ぶりはファシズムにも似て危険なところもある。数人が集まることのできる小さな火を、たくさん作るのがいいという。
 初めて会った人とも一緒にたき火を囲んで、あっという間に人が集う配置ができたことを体感しながら、ひと時を過ごした。

エコゾフィー5

 

■おわりに
 レクチャーとたき火のワークショップからは、小山田さんが一貫して追求してきた「共有空間」をつくる実践で見出された工夫や技術が、随所に埋め込まれているのを感じた。小屋、手に握って話を「まるくする」石、草むらのデッキに設えたたき火…。それは、「ある環境に、どのようにモノや仕掛けを配置すると、どのように人が集うのか」を様々な形で試みることによって、匂いや音や景色などを通じて身体感覚に働きかけ、人々がちょうどよい距離感で自然と関わりはじめる空間や時間を作りだしていく。かつてダムタイプの舞台美術を担当してきた小山田さんのアートの手法が、こうして社会の様々な場所で活かされているのだと思う。

「多様な人が共にいる」ことを、言葉での対話や議論だけでなく、空間じたいの共有という仕方で実現すること。そのありかたの一端を、体験することが出来た。

(三宅博子)