多様性と境界に関する対話と表現の研究所

アートカウンシル東京

【連載】「東京迂回路研究 オープンラボ」を振り返る――トークセッション “いたみ” の共有は可能か?②

2016年12月20日

10月26日〜30日に開催した 「東京迂回路研究 オープンラボ」の振り返り連載。
第13回目は、<トークセッション “いたみ” の共有は可能か?>について、研究所メンバー三宅によるレポートです。
*本連載は、オープンラボを多様な視点から振り返るべく、各プログラムについて研究所メンバーと参加者それぞれのレポートを交互に掲載していきます。
各プログラムはそれぞれにどのように経験されていたのか。あの場に身をおいた人は何を感じ、思考したのか。お楽しみいただければ幸いです。


■音楽のように「言葉を交わす」

三宅博子(多様性と境界に関する対話と表現の研究所)

「言葉を交わし、言葉をつむぐ、5日間」と題して行ってきた、「東京迂回路研究オープンラボ」。最終日は、アーツ千代田3331にあるアーツカウンシル東京ROOM302で行われた、『トークセッション“いたみ”の共有は可能か?』。この問いを出発点に、参加者全員での対話や、紙に書いて行う対話「サイレントダイアローグ」を通じて、文字どおり「言葉を交わし、言葉をつむぐ」時間を過ごした。

オープニングは、「東京迂回路研究」事務局長の井尻による、問いの提起から始まった。「“いたみ”の共有は可能か?」。今年で3年目を迎えるプロジェクト「東京迂回路研究」で、なぜ、いま、この問いを問うのか。このプロジェクトでは、これまで、「多様性」と「境界」に関する諸問題に対して、「対話」と「表現」を通し、“生き抜くための技法”としての新たな 「迂回路」をさぐり、つなぎ、つくることを、事業目的の一つとしてきた。それは、多様な人々が多様なままに共にあることを可能にする社会の実現を目指しているからだ。しかし、多様な背景や経験を抱える者が共にあるとき、「伝わらなさ」がその間に立ちはだかることがある。では、なぜ、「伝わらなさ」に直面するのだろうか。

「“いたみ”の共有」と「伝わらなさ」をめぐる問いは、2016年5月26日に開催した『もやもやフィールドワーク報告と対話編・第11回』で行われた、哲学カフェ[1]「“わかりあう“ってどういうこと?”」のなかから生まれてきた問いである。そこでは、参加者全員で車座になり、「“わかりあう”ってどういうこと?」を意識した経験について話すことから始めた。「こどもの頃から「痛み」というものが不思議だった。「この痛み」をどうしたら伝えることができるのか」「わかりあっていないということがわかったときに、わかりあえた気がした」などの経験が語られた。そこから、「他者の痛みをわかることはできるか」、「同じ経験をしていない人とわかりあうことはできるか」といった問いかけがなされ、少しずつ問いのかたちを変えながら、じっくりと話しあいが進んでいった。

“わかりあう”とは、どういうことだろう。私たちは、同じ経験をしている人としか、わかりあえないのだろうか。だとしたら、異なる背景や経験をもつ他者とは、わかりあえないことになってしまうのだろうか。 でも、「わたし」とまったく同じ経験をしている人なんて、いないのではないろうか…。“いたみ”は、「わたし」固有の経験の象徴である。ある人に固有の経験を、異なる背景や経験を持つ他者と共有することはできるのか。“痛み”とも、あるいは“傷み”や“悼み”とも書かれる、その経験を、あえて「“いたみ”の共有は可能か?」と問うことによって、「伝わらなさ」や「わかりあえなさ」を認めたうえで、そこからはじまる関係を探求していくことができるのではないか。そのことを、参加者と一緒に、やってみたい。そう考えたのが、この問いを立てるに到った経緯である。

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問いの提起に続いて、この問いを一緒に考えてくれるゲストの紹介と、ゲストによるトークが行われた。ゲストは、西村高宏さん、近田真美子さん。おふたりは2010年から、「てつがくカフェ@せんだい」[2] http://tetsugaku.masa-mune.jp/ の一員として、定期的に対話の場をひらいてきた。2011年3月11日の東日本大震災の後は、せんだいメディアテークにおいて「考えるテーブル」として、50回以上、開催している。西村さんによれば、震災という〈出来事〉がどのような経験だったのかは、「当事者(被災者)の視点からだけでは見えてこない」。そこで、当事者の視点から「あえて距離をとる」ことによって、それぞれの立場から「自分たちの〈ことば〉で語り始める」こと、「そこでの「対話」をとおして震災という〈出来事〉の根っこを粘り強く探り当てようとする」ことが必要なのだという。

今回、西村さんと近田さんをゲストにお迎えした理由は、ここにある。経験についての当事者性からいったん距離をとって、それぞれの「わたし」の立場から言葉を交わし、ある事象の「根っこ」を探りあてていこうとすること。そのことに、東日本大震災の前後を通じ、さまざまな“いたみ”を抱える人々と共に取り組んでこられたおふたりと一緒に、今日、ここに集まった「わたし」たち自身が抱える“いたみ”について、考えてみたかったのだ。

 

セッションの第1部は、西村さんの進行のもと、30名ほどの参加者で、「てつがくカフェ」を行った。まず、「“いたみ”の共有は可能か?」というテーマについて、自由に話すことから始めた。そこから、問いを深めるにあたって外せないキーワードを吟味し、意味どうしの関係を探っていった。西村さんの進行は、参加者が発したばらばらで断片的な経験の言葉から、そこにちりばめられた問いや論理、質感を丁寧に抜き出し、「考える足場」を固めるようにして一歩一歩進んでいく。その慎重さや、飄々とした語り口は、ともすれば各々の“いたみ”の吐露に流れかねないテーマを、「今、ここに集った皆で問う」という場に踏みとどまらせているように感じられた。グラフィック担当の近田さんが、対話の流れを即座に図式化してホワイトボードに書きとめてくださったことも、考えを整理する助けになった。

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1時間あまりの対話を経て、参加者がたどり着いたのは、次のような言葉である。「“いたみ”を共有するには、まず、「わたし」が「わたし」の“いたみ”を感じ、知ることが前提にある。そして、「わたし」自身の“いたみ”を知るプロセスには、他者がすでに入りこんでいる」。これは、テーマに関する合意形成の言葉ではなく、この後もそれぞれが考えを深めるための、ゆるやかなたたき台のようなものだという。こうして、“いたみ”を共有するには、①「わたし」が他者を経由して「わたし」自身のいたみを知る、②そのようにして各々が抱える“いたみ”を誰かと共有する、という2段階のプロセスあることが示唆されたところで、時間となった。

 

セッションの第2部は、「サイレントダイアローグ」を行った。これは、紙に書いて行う対話の方法である。手順は、まず、A3の用紙に、前半の「てつがくカフェ」を終えて、いま自分が抱える問いと、その問いがなぜ生じたのか、それについてどう考えるかを書く。次に、その紙を右隣の人に回す。紙が回ってきたら、そこに書かれた問いを読み、考えたことを書く。また右隣に回して、そこに書かれた問いと、それに対する考えを読んで、自分の考えを書く。それを3回繰り返した後、最初の問いを書いた人の手元に、紙を戻す。

一連の作業は、隣の人に紙を渡すこと以外は、自分ひとりで考えて行うものだ。だが、このサイレントダイアローグが、想像よりも「誰かと」行っている感覚が強いことに驚いた。自分の問いを立てるときには、前半の「てつがくカフェ」で聴いた言葉の感触を感じながら、自分の問いを立てる。また、一つの問いを読んで応答を書きこんだ後、次の問いに答えるときにも、そこで自分の考えがきっぱりと区切られるわけではなく、前の問いとどこか重ねあわせながら、考えている。誰も声を発することなく進んでいくサイレントダイアローグだが、自分の身体のなかで、他者の発する声が重なっていくかのように感じた。

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「“いたみ”の共有は可能か?」というテーマについて、「言葉を交わし、言葉をつむぐ」ことを試みた、トークセッション。その場で起こっていたことは、音楽のように「言葉を交わす」ことだったのではないかと感じる。音楽は、記憶や身体と深く関わる媒体である。ある音や音楽を聴いて、過去の記憶がありありと蘇ったり、身体が思わず動き出したりすることがある。この日交わされた言葉は、まるで音楽のように、記憶や身体のどこかに潜り込んで、「わたし」のなかで問われ続けるような気がした。

 

[1]「みんなで一緒に、問い、話し、考える」対話の形式のひとつ。ひとつのテーマについて、合意形成を目指すのではなく、集まった人たちで一緒に探求していくことを目的とする。1992年にフランスの哲学者マルク・ソーテが「カフェ・デ・ファール」ではじめたと言われている。現在では日本各地で開催されている。

[2] 2010年に開始した、〈自明なこと〉からいったん身を離し、投げかけられる「そもそもそれって何なのか」というような遡行的な問いを参加者どうしが共有し、「哲学的な対話」を通して、自分自身の考えを逞しくすることの難しさや楽しさを体験してもらう対話の場。東日本大震災後は、せんだいメディアテークにて「考えるテーブル」として行っている。