多様性と境界に関する対話と表現の研究所

アートカウンシル東京

【連載】「東京迂回路研究 オープンラボ」を振り返る――トークセッション “いたみ” の共有は可能か?①

2016年12月20日

10月26日〜30日に開催した 「東京迂回路研究 オープンラボ」の振り返り連載。
第12回目は、<トークセッション “いたみ” の共有は可能か?>について、照山絢子さんによるレポートです。
*本連載は、オープンラボを多様な視点から振り返るべく、各プログラムについて研究所メンバーと参加者それぞれのレポートを交互に掲載していきます。
各プログラムはそれぞれにどのように経験されていたのか。あの場に身をおいた人は何を感じ、思考したのか。お楽しみいただければ幸いです。


■オルタナティブな対話の場へ - 『トークセッション“いたみ“の共有は可能か?』

照山絢子(筑波大学助教・文化人類学)

今回のセッションのモデレーターを務めてくださった、てつがくカフェ@せんだいの西村さん、近田さんは、東日本大震災の被災地において長らくてつがくカフェを実施してこられたのだそうだ。震災のあと、多くの学者や識者が3.11の意味について語ったが、そういった「大きい言葉」や数値だけではとらえきれない日常、語りつくせない思いが、そこに暮らす人々の中にはあったという。それを彼ら自身の言葉で、根気よくつかまえていき、落とし込んでいく。こうした活動に長らく取り組んでこられたお話を最初に伺った。

その中で、特に印象に残っているのは当事者性をめぐるお話だった。震災をはじめ、さまざまな「いたみ」について語るとき、当事者であるかどうかは常に大きな壁として私たちの前に立ちはだかる。当事者は語ることを促されたり、またその語られた内容はそれ自体で価値があるものとされたりする一方で、非当事者はその経験を共有していない、ということから、立場をわきまえての言葉選びや時には沈黙が求められる。障害者というマイノリティを長らく研究してきた私にとって、この当事者性の問題は常に感じてきた。ところが西村さんは、被災地での活動の中で心掛けたこととして、「当事者の声を優遇しない」ということを挙げられた。いろいろな人が、それぞれの立場で震災を語ることが大事である、と。東日本大震災については、東京にいながらそれを語ること、ましてその震災が自分の「いたみ」になっている等と発言することが憚られる雰囲気があったように思う。こんなに離れていてなにを見てきたようなことを、と。そうではないと言ってもらえたこと、私たちはそれぞれが自分の経験の「主人公」であり、その意味で「当事者」であると言ってもらえたことは、このセッションのその後の対話の基盤を形作ったように思う。

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セッションの第一部では、1時間半の哲学カフェをおこなった。参加者25人が円になって座り、「”いたみ”の共有は可能か」というテーマで自由に発言をし、その中から重要なキーワードと思われるものを選び出し、より深く吟味していった。対話をしながら合意を形成するのではなく、それぞれが自分の考えと他の人の考えを交差させながら、あいまいさをなくしていき、考えを「たくましく」していくのだと説明された。私は哲学カフェに参加するのが初めてだったのだが、合意形成を目指さないコミュニケーションというのは意外に難しいものだと感じた。日常における私たちのコミュニケーションは常に相手とのキャッチボールだ。でもここでは、投げた言葉はそのままその空間になんとなく漂う。それをきっかけに別のことを想起した人が、それを拾って発言することもあるが、必ずしも先の相手に答えているというわけではない。参加者それぞれが独り言のように何かをつぶやき、その間にゆるやかな触発や接続、反発が生じる。それは、まるで私たちが頭の中で「ああでもない、こうでもない」と一人考えをめぐらせる行為を、25人という集団の中でやってみせているような、不思議な感覚だった。

これはまた、設定されたテーマが抽象的であったこととも関連していたと思う。「いたみ」とは何か、「共有できる/できない」とはどういうことか、参加者はそれぞれに個人的な経験を参照しながら話していたようだったが、その個人的な経験が具体的にどういうものなのかはほとんど語られなかった。そもそも、「いたみ」が平仮名で表記されていることが興味深い。それが指しているのが「痛み」なのか「傷み」なのか「悼み」なのか、それによって参加者の中で思い描くものはだいぶ違ったと思う。また、「共有、ということについて絶望している」とか「いたみは経験したあと、自覚するまでに時間がかかることがある」とかいうような発言があったが、それが具体的に、どういう経験や記憶から出てきたのか、気になって気になって、一人うずうずしていた。そして、その「うずうずしている自分」にふと冷静になったとき、ハタと気づくことがあった。私の仕事はフィールドワークを伴うので、これまで数多くの人々に出会い、彼らのいたみの物語を聞いてきた。ときには声を絞りながら、涙をにじませながら語られるその言葉たちを、私はたくさん受けとめてきた。私の専門分野である文化人類学の中でも、「他者理解はどこまで可能か」というのは長らく論じられてきたテーマであり、私たちはテープ起こしした原稿を見つめながら、またそのデータをもとに分析を進めながら、常にこの問いをめぐって葛藤している。しかし、語ってくれている相手と直接、「その”いたみ“の共有可能性について」話し合うなどということはしない。こういったメタ的な問題は、具体的な「いたみ」の内容の話に落とし込んでいってしまうと、焦点がぼやけ、指の間から砂が零れ落ちるようにするりと逃げていってしまう。私が感じていた「うずうず」とは、私にとって不慣れなこの対話の居心地の悪さから逃げたいという思い、個人的な経験の物語というなじみ深いあの場所へ流されてしまいたいという希求なのだろうと、気づかされた。

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休憩をはさんでのセッションの第二部では、サイレントダイアローグをおこなった。参加者全員にA3の用紙が配られた。そこには4つの空欄があり、1つ目には先ほどの哲学カフェの内容を踏まえて、自分の中で浮かび上がった問いと、なぜその問いが生じたのか、その問いについて自分はどう考えるのかを書く。そのあと、その紙を右隣の人にまわす。受け取った人は、冒頭の問いを読んで考えたことを次の空欄に書く。そして、また右隣の人にまわす。受け取った人は冒頭の問いと、一人目の回答者が書いたことを読んで、考えたことを次の空欄に書く。これを繰り返して3人に考えを書いてもらったところで、元の人に用紙を戻す。

この一連のプロセスは、モデレーターが時間を知らせる言葉以外、発話はなく、静かにおこなわれた。静かな対話、まさに「サイレントダイアローグ」だった。考えを文字にするというのは、声で発話するのとは少し違う。即興性がない代わりに、注意深く言葉が紡がれた痕跡が、私の手元に戻ってきた用紙にはあった。伝えたいことが図解されていたり、下線で重要なところが強調されていたり、一度書いたものに横線が引かれて矢印で追記がなされていたりと、声とはまた違った形で書き手は自分の言いたいことを限られた空欄の中で表現する。また、二人の話者の間で往復してやりとりするのではなく、複数の人の間で用紙をまわすという点で、議論が思わぬ方向に展開していくおもしろさがあった。いつだったか、子どもの頃に、一段落ずつ文章を書いてまわすことで小説を書き上げていく、という遊びをしたときに、最終的な作品を見てみると思いもよらない展開になっていたという驚きと興奮を思い出させるものだった。

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あっという間の3時間半だった。結局、「”いたみ”の共有は可能か」という問いに対して、手ごたえのある答えを導き出したわけではないが、会場にやってきたときに自分の中にあったナイーヴな答えを大きく揺るがされたセッションだった。まだカタチのない、その不確実でもやもやとしたものを抱えながら岐路につくとき、ああ、さすが『もやもやフィールドワーク』などをやってきた東京迂回路研究ならではの問題提起だな、と気づいて一人ほくそえんだ。この日のほかの参加者たちもまた、この問いについて昨日よりも少し「たくましく」なった考えを持って、それぞれの日常の場へと帰っていったのだろうと思う。