多様性と境界に関する対話と表現の研究所

アートカウンシル東京

【連載】「東京迂回路研究 オープンラボ」を振り返る――スライドショー&ライブ「詩・写真・声ーここから言葉をつむぐということ」①

2016年12月20日

10月26日〜30日に開催した 「東京迂回路研究 オープンラボ」の振り返り連載。
第9回目は、<スライドショー&ライブ「詩・写真・声ーここから言葉をつむぐということ」>について、ササマユウコさんによるレポートです。
*本連載は、オープンラボを多様な視点から振り返るべく、各プログラムについて研究所メンバーと参加者それぞれのレポートを交互に掲載していきます。
各プログラムはそれぞれにどのように経験されていたのか。あの場に身をおいた人は何を感じ、思考したのか。お楽しみいただければ幸いです。


■詩の考察/耳の哲学

ササマユウコ(音楽家、芸術教育デザイン室CONNECT/コネクト代表)

詩とは何か。言葉とは何だろうか。文字の前には声が、声の前には音の風景がある。紡がれる言葉の世界に耳をひらき、耳をすます。その人の声を、存在をきく。それは詩か、オンガクか[1]

「多様な人が共にあるために」開催された東京迂回路研究のオープンラボ「言葉を交わし、言葉をつむぐ5日間」の4日目。新しい公共スペースの在り方が注目されるSHIBAURA HOUSEで開催された、詩人・上田假奈代さんの詩をつくる『ワークショップ「こころのたねとして:齋藤陽道さんの写真から@東京迂回路研究」』に参加した。

「音楽とは何か、何が音楽か」[2]。東日本大震災後に弘前大学の今田匡彦研究室[3]とつながってから、ずっとこの言葉を考えている。この東京迂回路研究にも繰り返し登場する「生き抜くための」言葉、音楽の外側とつながり、伝えるための言葉探しである。「耳の哲学」[4]に辿りついたのも束の間、今度は肝心の音楽が言葉から遠のいていく。内と外をつなぐ言葉探しは果てしなく、途方に暮れる。しかし、そこにふと「詩をつくる」時間がめぐってきた。

そもそも人はなぜ詩をつくるのだろう。言葉とは何だろうか。この問いもまた何とも複雑で手ごわい。しかし世界は言葉で出来ている。社会はメールや書類、文字の山である。欺く言葉、誘う言葉、分断する言葉、顔が見えず血の通わない言葉であふれている。その言葉の洪水を前にして、ひるむことなく言葉を紡ぐ人たち。その中でも特に、子どもと詩人と哲学者の言葉は信じられると直感する。その「信じられる」ということを信じて、「詩をつくる」時間を過ごした。しかしこの場の本質は「詩をつくる」ことそのものにはない。誰かと言葉を交わし、そこから詩を紡ぎ、文字や声を通して「多様な人が共にあること」を考え、発見していくことにあるだろう。だからこそ場の「軸」となった詩や言葉とは何なのか、過ごした時間の流れと共に、あらためて考えてみたいと思う。

shibaura1029-12_2525(写真:冨田了平)

詩人は言葉の人である。その上田さんのワークショップは、意外にも‘身体で’名前を表現することから始まった。全身で意味や音を表現する人、漢字のかたちを模す人、声に表情をつける人・・・最初は戸惑いもあったが、実に名前の数だけ世界があった。「みんな違う」ことが共有されて場の空気も和んだ。それから机の上に広げられた齋藤陽道さんの写真からひとり一枚を選び、言葉を交わす相手を探した。なぜその写真を選んだのか?そこから何を感じたか?インタビューが文字となり、詩の種となる。初対面同士でも和気藹々と、しかし言葉はどこか手探りだった。私とあなた、私と写真、私とあなたの写真、私と私。さまざまな関係性が交錯し、写真の外側にも話題が広がって、すぐに時間が経ってしまった。ちなみに自分が選んだのは虹色の光の粒があふれる部屋で、誰かのひざの上で泣いている赤ん坊の写真だった。「お子さんは?」という言葉を受け、赤ん坊と過ごした日々の記憶が思いのほか無邪気な言葉とつながっていった。一方、相手の人はとても内省的な言葉を紡いでいた。言葉を交わした時間そのものが心の扉を開けたのだろうと、ご本人も驚いていた。名前のように、言葉も人の数だけ存在するのだと思った。内側には本人さえ気づかずに眠る言葉がある。

心にすっと入り込む齋藤さんの写真は、透明で静謐な詩や音楽のようだ。単なる詩の‘素材’で終わらせず、あくまで‘こころのたね’にしたいと思う。だから気に入っても、自分の言葉からは遠く感じて手が出せない作品もあった。逆に言えば、写真の「選択」から無意識に詩をつくり始めていたのだと思う。言葉を交わす相手、インタビューの場所や座る椅子、文字を書く鉛筆やペン。ふり返れば、この時の「選択」のすべてが詩のためにあった。

一方、本来の「こころのたねとして」では、交わされる言葉のみを頼りに詩をつくるという。2014年のヨコトリ[5]で遭遇した釜ヶ崎芸術大学のおっちゃんたちの言葉を思い出す。天井いっぱいに貼られた半紙の一枚一枚に墨で書かれた力強い文字。あの展示に心が震えたのは、そこにおっちゃんたちの内なる声をきき、存在を感じたからだ。上田さんの「他者の力を借りて」詩をつくる方法は、音の即興セッションと近い。自分だけでひねり出すのではなく、相手との言葉のやりとりや関係性が、すでにある内側の言葉に光をあてる。そこから紡がれる言葉の糸が内と外をつなぎ、詩の世界を編む。この本来のワークショップのかたちも、シンプルだがとても興味深い。

shibaura1029-45_2598(写真:冨田了平)

写真を通して言葉を交わし、自分を通して文字にする。紙の上で‘詩のかたち’になった文字は、まず参加者内の朗読で共有された。文字を声にするプロセスは音楽と似ている。言葉は文字か声か、その両方か。この問いもまた哲学的で果てしない。しかし確かなのは、声は「その人」だということだ。詩の朗読は「存在をきく」ことなのだと思う。特に後半のプログラムでは「詩人と観客」という特別な関係性をつくり、選んだ写真が背景に大きく投影された。場に詩的な雰囲気が生まれ、写真の「何が」その人の言葉につながったのかもより鮮明に伝わった。詩は文字を離れ、声の存在になる。放たれた声はどこかに跳ね返って、ふたたび自分の耳から内側に入る。その瞬間に声の詩、文字の詩の違いを知る。詩の朗読はモノローグではない。目の前の誰かとつながり、共鳴で編まれていく音の風景だ。声と身体で表現した名前なのかもしれない。自分とは何者か。声を放ち、放たれた声に耳をすますのは誰かと、あらためて問う。自分の声は、言葉は誰かに届いたのだろうか。詩の朗読のあと、少し不安になった。

shibaura1029-73_2661(写真:冨田了平)

参加者の詩はすべて、声のアーティスト/山崎阿弥さんに委ねられた。彼女は紙を回収し、目と耳で即興的に詩のかたちを解体し、文節や音にして新しい風景に編み直した。この日、言葉と音楽が最も近づいた瞬間だった。夜の街に浮かぶ硝子の空間に、詩の断片が空耳のように現れては消える。時おり自分の言葉がきこえると安心するのはなぜだろう。声の詩は耳の記憶となり、文字の詩は手元に残った。紙の上の見慣れた癖文字は、確かにこの手が書いた「私の詩」である。ふたたび声にされなくても、確かにあの日、「私」が存在したという証である。

詩の起源に思いを馳せる。ある日、言葉を詩に変えた「その人」を想像する。声や文字となった言葉を「詩」と名付けた人の存在を想う。人はなぜ詩をつくるのだろう。詩とは、言葉とは何だろうか。問いは果てしなくつづく。


 

[1] 現代使用されている「音楽」という言葉は、1879年(明治12年)に西洋音楽教育の研究目的で設置された文部省音楽取調掛によって考案された。これ以降の本文で表記する「音楽」という言葉には、概念としてのオンガクも含む。

[2] 『音さがしの本~リトル・サウンド・エデュケーション』(p.137)。R.M.シェーファー/今田匡彦 (春秋社 2009 増補版)。このテキストには弘前大学音楽科教育法の授業についても記されている。

[3] 弘前大学教育学部音楽教育講座 今田匡彦研究室http://siva.cc.hirosaki-u.ac.jp/usr/timada/

[4] 『世界の調律~サウンドスケープとは何か』R.M.シェーファー著 鳥越けい子、若尾裕ほか訳 (平凡社1986)。『哲学音楽論~音楽教育とサウンドスケープ』今田匡彦(恒星社厚生閣2015)。サウンドスケープ論を内と外をつなぐ関係性と捉えた「耳の哲学」は筆者の造語。

[5] ヨコハマトリエンナーレ2014。テーマ「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」 アーティスティック・ディレクター:森村泰昌

本文で紹介した作品:釜ヶ崎芸術大学「それは、わしが飯を食うことより大事か?」@横浜美術館