多様性と境界に関する対話と表現の研究所

アートカウンシル東京

【連載】「東京迂回路研究 オープンラボ」を振り返る――オープンミーティング&ワークショップ「ハーモニー」①

2016年12月20日

10月26日〜30日に開催した 「東京迂回路研究 オープンラボ」の振り返り連載。
第1回目は、オープンミーティング&ワークショップ「ハーモニー」について、水谷みつるさんによるレポートです。
*本連載は、オープンラボを多様な視点から振り返るべく、各プログラムについて研究所メンバーと参加者それぞれのレポートを交互に掲載していきます。
各プログラムはそれぞれにどのように経験されていたのか。あの場に身をおいた人は何を感じ、思考したのか。お楽しみいただければ幸いです。


■記憶を共有する、体験を成仏させる――「幻聴妄想かるた」遊びについて

水谷みつる(こまば当事者研究会、哲学ドラマ・コレクティブ)

 

手元に2組のかるたがある。2011年医学書院刊の『幻聴妄想かるた』と、2014年ハーモニー自主制作の『新・幻聴妄想かるた』。私が、このおかしくも味わい深いかるたを初めて手にしたのはいつだろう? 医学書院版が出てすぐだったから、おそらく2011年末。もう5年前になる。

よく覚えているが、その時、「おとうとを犬にしてしまった」という読み札にとりわけ衝撃を受けた。「おとうとが犬に見えた」のではなく、「してしまった」のだという、一分の揺るぎもない確信。メンタルヘルスの問題を抱えて長い私だが、「~だとわかってるけれど、~だと思えてしょうがないんです」といった、煮え切らない訴えをぐだぐだ並べるのが常なので、この札の潔い言い切りが表わす「妄想」の確固たるリアリティには、目を瞠った。夢を見ている時に、夢のなかの出来事がすべてリアルであるように、疑いの入り込む余地のない確かな世界。おそらく怖いものであるだろうその世界を、こんなふうに短いフレーズに落とし込むまでに、いったいどのようなプロセスと情動の動きがあるのか。

46枚のかるたには、こちらに「肩の力を抜きなよ」と誘いかけてくるような、奇妙なおかしみとずっこけ感、そして付属冊子の解説なしでは何のことかわからないような、突き放した大胆さがあった。それは、生み出された場にあふれていただろう笑いを、読み手にありありと感じさせるものだった。その場で作り手たちが実際どのような体験をしたのかはわからないが、少なくともあとから振り返って愛しく思うような時間であることは想像に難くなかった。そんな時間を46枚分(いや出版されたのは一部だろうから、おそらくもっと)積み重ねたハーモニーとは、いったいどんなところなのかと興味が湧いた。

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(写真:冨田了平)

ハーモニーと出会えたのは、それから4年後だった。東京大学UTCP[i]の企画で、メンバーの講演とかるた作りのワークショップが駒場で行なわれたのだ。そこで私は、かるた作りのおもしろさに目覚めてしまった。

恐怖で動転し緊急入院するくらい大変だった経験や、何年ものあいだ悩まされ続けた困りごとを、たった数語の短い文章で表わし、掌より小さいサイズの絵札に描く。それは、医師に「悪しき過剰さがあるよね」と言われるほど、何もかも細かく記述せずには気が済まない私には、とても新鮮な経験だった。同時に、苦しい記憶のはずなのに、描きながらおもしろがってる自分に気づき、そんな自分を愉快に感じた。四角四面に生真面目な性質で、ユーモアを大切にする当事者研究[ii]でもあまり笑いを込められない私にしては、珍しいことだった。

かるたという形式に落とし込むためには、背景も前後もある体験のうち、たった一点に焦点を当てなければならない。その制約が、体験を離れたところから眺め、笑う余地、すなわち遊びを私にくれたのだろう。加えて、周りには、それぞれのかるたを作る「仲間」(みな初対面だったが)がいた。内に秘めてきた体験を、大っぴらに見せ合うことのできる場の安心感とわくわく感(安全であれば秘密の共有は魅惑的だ)が、どうせならできるだけおもしろおかしく語りたいという、ふだんにはない欲望を掻き立ててくれたのではないだろうか。

この日はまた、かるた取りの時間もあった。数人でかるたを囲み、取り合って遊んだ。2組のかるたを買って所有していたものの、遊んだことのない私にとっては、こちらも初めての経験だった。だが、正直言えば、メンバーの講演やかるた作りほどには、おもしろいと思わなかった。短時間で行なうために、46枚全部ではなく、限られた数のかるたを使ったためかもしれない。ゲームとしての楽しさは、聴く、読む、見る、作る楽しさには敵わないと感じた。

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(写真:冨田了平)

そんなわけで、今回、東京迂回路研究が、「幻聴妄想かるた」を使った新たな遊び方を開発したと聞き、私は期待でドキドキしながらハーモニーのドアを開けた。

全体の流れは、前半がオープンミーティング、後半がワークショップというものだった。ミーティングは、ハーモニーが毎週水曜日に開催している「愛の予防センター」の公開特別ヴァージョンである。

はじめに、メンバーとミーティングに加わった一部の外部参加者(他はギャラリーとして彼らを取り巻いていた)の自己紹介があった。「死にかけた金原」や「バケモノ嫌いの益山」といった、ワンフレーズでの自己紹介がパンチが効いていておもしろかった。

続けて、最近、不穏と噂されているという「宗教かぶれ病の田中」さんの、ここ2か月弱の状況が語られた。なんでも、薬の乱用で調子が高くなり、入院かと危ぶまれたが、対策を立て回避したとか。そしてみなで、

 

自転車でGO! 高尾山

山頂で誓った「絶対入院しない!」

 

入院と言われたら投げつけるつもりのタバコ爆弾

寝食、忘れて作りました

 

の二つの読み札のうちどちらかを選んで、絵札を描いた。できた絵札は、スクリーンに投影され、田中さんが一言ずつコメントを言った。そしてすべての絵札が紹介されたあと、田中さんはもっともしっくりする一枚を選び、最後に感想として「これで成仏できる。過去の話として」と述べた。深く頷く一言だった。

体験を充分に語ることができ、そしてそれが受けとめられたと思えた時、「これで過去の話として成仏させられる」と感じる。それは、私も治療や当事者研究などを通して、幾度となく経験してきたことだった。昨年のかるた作りでもそうだった。苦痛を伴う記憶を、笑い飛ばして、手放し、かるた遊びの世界に成仏、転生させた。それらはいま、ハーモニーの「みんなの幻聴妄想かるた」のアーカイブの片隅に、詠み人知らずとして眠っている。それが嬉しい。

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(写真:冨田了平)

前半の最後には、ハーモニー・メンバーによる人生相談があり(これも興味深かったが字数の都合で詳細は省く)、休憩を挟んで、ワークショップ「ジェスチャーかるたゲーム」に移った。

まず、ワークショップ開発チームから経緯の説明があり、続けてデモンストレーションが行なわれた。ゲームは、数名でテーブルを囲み、並べた6枚の読み札から一人が1枚を選んでジェスチャーで表わし、残りの人たちが該当する札を取るというものだった。

始めてすぐに気づいたのは、身体で表現するには、読み札に書かれている場面を具体的に想像しなければならないということだった。たとえば、「ぐるぐる回る ちっちゃいおじさんたち」という札。おじさんたちは、どのくらい小さくて、何人いて、一人ひとりがどんなで、どれほどのスピードで回っているのか。それを見ている詠み人との距離はどれくらいで、詠み人はどんなふうに感じているのか。また、他の参加者の意外性に富むジェスチャーは、同じ読み札から想像する情景が、人によって大きく異なることを教えてくれた。加えて、即興で生み出されるジェスチャーには、それ自体としておかしみがあり、笑いを誘った。

演技が要請する具体性、身体で感じる詠み人の思い、露わになる多様性、噴き出す笑い、それらはどれも会話を誘発するものだった。ただかるた取りをした時よりも、もっとずっと一つひとつの札について語りたくなり、話が弾んだ。私も、当事者研究と哲学対話を演劇によってつなげる、哲学ドラマというワークショップを仲間と企画実施しているが、ストーリーテリングとグループワークに身体表現を取り入れることの意義を、改めて確認させられる経験だった。

私たちのテーブルには二人のハーモニー・メンバーがいたが、彼らが語る詠み人たちの思い出も深く心に残るものだった。とくに、その人は「亡くなった」「来なくなった」という話が何度も出たのには、胸を衝かれた。同時に、こうやって、この場に集い、語り合った記憶がかるたに凝縮されて残り、語り継がれ、共有されていくのだとしみじみ思った。ともに過ごしたあいだには、きっといろいろなことがあったに違いないが、振り返れば愛しく思われる時間の、かるたは文字通りの「結晶」だった。その結晶のきらめきの内に招き入れられ、分かち合いと笑いによって成仏を遂げた苦闘の面影たちと、触れ合い、語り合う。それが、今回のかるた遊びだった。そのような幸せな時間をつくってくれた、ハーモニーのメンバーとワークショップ開発チームに感謝したい。

 

[i]東京大学大学院総合文化研究科・教養学部附属 共生のための国際哲学研究センター(UTCP: University of Tokyo Center of Philosophy)。

[ii] 当事者研究とは、障害に限さまざまな困りごとを抱えた当事者が、仲間と対話しながら、自らの「苦労のメカニズム」を「自分自身で、ともに」探究し、解き明かしていく試みである。2001年に北海道の「浦河べてるの家」で始まり、いまでは全国に広まっている。浦河べてるの家『べてるの家の「当事者研究」』(医学書院、2005年)、石らず原孝二編『当事者研究の研究』(医学書院、2013年)などを参照のこと。