多様性と境界に関する対話と表現の研究所

アートカウンシル東京

【週報】研究のことばと実践のことば

2016年11月21日

こんにちは、研究所員の石橋鼓太郎です。

11月頭に、立て続けに2つの学会に参加してきました。一つは、以前週報でもご報告した、札幌市立大学で開催された「アートミーツケア学会」。もう一つは、岡山県の川崎医療福祉大学で開催された、「日本音楽即興学会」です。

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この二つの学会は共に、「研究」だけではなく、「実践」にも重きを置いています。たとえば、アートミーツケア学会では、車座形式で自由に出入りでき、ワークショップが実施できる分科会が設けられています。また、日本音楽即興学会では、音楽パフォーマンスを交えながら発表をすることができる「パフォーマンス発表」という枠が設けられています。

このような形式が設けられた背景としては、やはり、「研究のことば」と「実践のことば」との間の乖離があったのではないかと思います。私自身も、何度かそのような乖離を感じた経験があります。例えば、福祉の現場でワークショップをおこなっているアーティストの方が、「研究者が自分の実践を論文にしても、それが自分の現場にフィードバックできると思ったことは一度もない」と語られているのを聞いたことがあります。また、最近さまざまな角度から批判がなされている「地域アート」ですが、現場の方々は「実際はそうじゃない、もっと豊かなことが起こっている!」と言いつつ、その叫びが批評家・研究者に届くことはなかなかないように感じています。

研究者は、学問的な背景を持ったことばを使います。一方で、実践者は、その現場の身体感覚に即したことばを使います。その間の境界は、一見くっきりとしているように見えますが、果たして、そこまで自明なものなのでしょうか。研究者は、理念的な世界にのみ生きているわけではなく、ある現場を調査・研究するに際して、何らかの形でその場に「参与」せざるをえません。一方、実践者も、実践の世界のみに生きているのではなく、意識的にせよ無意識的にせよ、その現場に独特の複雑な「論理」を練り上げながら実践をおこなっているはずです。

「研究のことば」と「実践のことば」が健全な形で互いに影響を与え合うためには、研究者と実践者が互いの立場やことばを不動のものとして共訳不可能なままぶつけ合うのではなく、その間にある境界が常に流動的であることを自覚したうえで、研究者の実践的な部分、そして実践者の研究的な部分に互いに敏感になりながら、ことばを交換させていく必要があるのではないでしょうか。

このような研究者と実践者の間の境界の曖昧さを突き詰めていくと、誰がどの立場だかわからなくなり、誰もが研究者で、同時に誰もが実践者であるような協働のモデルが見えてきます。今年度の東京迂回路研究は、このような協働のあり方を目指しています。ハーモニーのみなさんと一緒に調査を進めるにあたって導入した「アクションリサーチ」という研究手法も、そのためのものです。11/24(木)に実施する「もやもやフィールドワーク 報告と対話編 第13回」では、このような曖昧な立場・関わり方から生まれてくるものについて、現状で考えられることをまとめ、報告をさせていただく予定です。ぜひご期待ください!

(石橋鼓太郎)