多様性と境界に関する対話と表現の研究所

アートカウンシル東京

【開催報告】「現場から言葉をつむぐ」ゼミナール発表会

2016年09月26日

9月2日、「現場から言葉をつむぐゼミナール」発表会を開催しました。

ゼミナールでは、東京大学UTCPの梶谷真司さんを講師にお迎えし、5回の講座を通して「自らの活動を客観的に捉え、言語化し、他者に伝えていくこと」に取り組んできました。発表会は、その集大成。一般のお客さんをお招きし、13名の受講生が自らの「伝えたいこと」を発表しました。

 

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発表形式は、パワーポイントを使い、「何のため(趣旨)」「なぜ(経緯・理由)」「何を(活動内容)」「誰に」「どのように(手段)」伝えたいのかを述べてから、「伝えたいこと」の中身を発表するというもの。持ち時間は、一人3分! 短いと思われるかもしれませんが、梶谷先生によれば、「これまでの作業で言いたいことがきちんと絞られていれば、充分に伝えられるはず」。ストップウォッチで時間をはかり、3分経ったら容赦なく終了、という形式で進められました。

発表の後、ゲストコメンテーターより個別に2分のコメントをいただきます。コメンテーターにお迎えしたのは、日常編集家のアサダワタルさん。アサダさんはこれまで、アート、福祉、地域、教育などの分野を横断しながら「表現による日常の再編集」をテーマに活動してこられました。また、『住み開き』や『コミュニティ難民のススメ』などの著書をはじめ、既存の枠組みに収まらない自身の活動を言葉にすることで、暮らしや仕事の新たなありかたを開いておられます。今回アサダさんには、その豊富な経験から受講生の発表に問いを投げかけ、つっこみを入れる役をお願いしました。

発表は、アート・ケア・教育・地域など関心分野の多様さもさることながら、それぞれに工夫を凝らした発表スタイルが印象的でした。文字中心のシンプルなスライドで勝負したり、アニメーションや写真を効果的に用いたり、なかには、ちくわを楽器として演奏してみせるパフォーマンスも! また、発表の時間や形式の枠を定めたことで、かえってそれぞれのたたずまいや語り口に個性が見えてきたのは、発見でした。「講談のよう」とコメンテーターに評された独特の語り口で聞き手を惹きつけた人もいれば、あえて沈黙することで伝えたいことの切実さを雄弁に語った人もいました。

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アサダさんは、多様な「現場」からつむがれた言葉に、ときにつっこみをいれ、ときに質問をし、さらなる言葉を引き出してくださいました。「“こころ”という言葉がよく出てきますが、これはどういう意味で使っているのですか?」「“哲学対話”とは、そもそもどういうものなのですか?」「このことを、あなたの身近な人に実際に伝えたことはありますか?」など、初めて発表を聞いた立場からコメントすることで、発表がより立体的に見えてきました。「3分発表、2分コメント」という、受講生にとってもアサダさんにとっても真剣勝負のようなやりとりのなか、会場は静かな熱気に包まれました。

以下は、発表のタイトルです。

・わたしたちは自分教を目指しませんか?~自分らしさの大切さを再確認~

・音あそびのススメ

・あなたの絵でアニメーション作品を作りませんか―〝夜空であそぶ″プロジェクト―

・ハーモニーの人と「幻聴妄想かるた」で遊ぼう!

・誰のための納得?

・市民活動と地元企業のCSR活動をドッキング!私のまちの課題解決底力↗向上プロジェクト

・現代アートを通じて考える、わたしの中の多様性

・移動する「他者」として

・ずれたまま 一緒にものを 見てみよう

・私たちのやっている「プログラミングカフェ」に是非遊びに来て下さい!

・アスペルガーはエジソンになれるか?

・哲学対話をmotto広めよう

・きたら、わかるよ

発表の後は、お客さんも交えた交流会を行いました。あちこちで話が盛り上がる様子を見ながら、こうしてお互いに知りあい、語りあう場を持てたことは、このゼミナールのひとつの成果だなあと、じわじわうれしく思いました。アンケートでは、「ふだんの社会生活で追いつかない思考や感情に焦る気持ちがあったのですが、皆さんの選び抜いた言葉が、とても分かりやすいフォーマットによって、あと、真摯な姿勢でストンと入ってきました」「新聞記者が語るのではなく、いろいろな立場の人が発表するということが新鮮でした。…自分の生活のなかで「伝える」ということを実践していくヒントを得ることが出来た気がします」「それぞれの方が違う問題について同じ場所で考えて、一緒の場所で別々に発表するということが面白かったです」などの感想がありました。発表者一人ひとりに感想を書いてくださった方も多く、「言葉をつむぐ」ことへの関心の高さがうかがわれました。

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ゼミナールを通して、やってきたこと。それは、自分自身と、そして伝えたい相手に、逃げずに向かい合うことだったように思います。自分の内にもやもやとある言葉を引っ張り出してくるうちに深い森に迷い込んでしまい、何を言いたかったのか分からなくなる…そんなことを繰り返し、それでも浮かびあがってくる切れ切れの言葉をつないで、やっとひとつながりの「伝えたいこと」をつくる。決して簡単ではありませんでしたが、ある受講生からは、「まだまだ自分に見えていない自分がいて、より自分らしく生きていることを楽しむためには何が必要かに少し触れることが出来た気がします」という感想もいただきました。

発表会を終えて、初回の講義で梶谷さんがおっしゃった「言葉をつむぐことは、生きのびること」という言葉を、あらためて思い返しています。「言葉をつむぐ」とは、他者と向かいあい、自分の思いを伝えることで、多様な「わたし」が「わたし」として生きのびる道をつくること。だとしたら、私たちは、受講生のみなさんと一緒に、それぞれの「迂回路」をつくる作業をしていたのだと思います。そして、このことをきっかけに、さらにそれぞれの「現場」で、言葉がつむがれていくことを願っています。

最後に、コメンテーターのアサダさんと講師の梶谷真司さんよりいただいた、発表会を終えてのコメントを掲載します。

アサダさんより。

言葉(言語)になりにくい問題意識をどの程度まで言葉にし、またどの程度まで自分がそこにいるという声や佇まいで持って伝えていくか、いろいろな意識を表現化してゆくうえでの皆さんの悩みのプロセスもどこか滲み出ているようで、面白い体験をさせていただきました。スライドを使うことや、5W1H的なルール設定がある程度あったからこそ比較できた点と、あったがゆえの制約として、「きっとこの方はもっとこういう表現化もありえただろうなぁ」みたいな、紡ぐ技法のバリエーションのある意味の偏りも見えて、それはそれで僕にとっても勉強になりました。しかし、皆さんの各々の背景をほとんど知らない状態であの会場に身ひとつでコメントを返していくってことは、表現者としての自分の力量も問われているようで、とにかくヘビーワイルドな会だったことは間違いありません。こうやって皆さんが各々の現場から紡いだ言葉たちは今後どのように実生活のなかで編み込まれてゆくのでしょうか。ほんとうは「日々近い人」に、この問題意識をちゃんと伝えられたら、いいんでしょうね。でも、それが一番難しいことかもしれませんけど。とにかく、ご一緒させていただき、ありがとうございました! (アサダワタル)

梶谷さんより。

受講生のみなさん

お疲れ様でした。最後のプレゼン、完成度は人によって違いますが、一人ひとりの苦しみの痕がちゃんと見えていてとてもよかったです。文章を書くというのは、才能の問題ではありません。もちろん文才のある人はいますが、他人の書く名文なんて関係ありません。自分の言葉で文章が書けるようになればいいんです。そのために必要なのは、ズーニーさんが言うように「考える方法」、言い換えれば、自分に問いかける方法です。それが身につけば、書くべきこと=ネタを見つけ出すことができます。そうしたら徹底的に絞り込む。それができれば、言いたいことの核をしっかりつかむことができます。そのあとは、その核を時と場合に応じて膨らませたり飾りつけをすればいい。でも絞り込む作業は、つらいですね。せっかく考えていっぱい集めたものを切って削って捨てる。もったいない、切ない気持ちになります。でも何度もやれば慣れます。苦しくなくなるわけではありません。苦しくていい、苦しもう、という覚悟ができます。その覚悟が今回のゼミナールでちょっとだけでもできたのなら、それがいちばんの収穫です。

ゼミの中でも言ったと思いますが、文章を書くのは料理に似ています――どんな素材を使って、どんな料理を、何のために、いつ、どこで、誰のために、どうやって作り、届けるのか――それが分かれば、自分の文章は書けるようになります。最初は下手でも、見栄えが悪くても、素朴でもいいんです。高級フレンチを作れるようになる必要なんてありません。自分なりの美味しいみそ汁を作れればいいんです。簡単ではありませんが、ずっと価値があることです。

ではまた。どこかで皆さんの文章と再会できることを楽しみにしています!

(梶谷真司)

 

受講生のみなさん、お疲れさまでした! 発表会にお越しいただいたみなさま、梶谷さん、アサダさん、そしてこの記事を読んでくださったみなさま、ありがとうございました。

(三宅博子)