多様性と境界に関する対話と表現の研究所

アートカウンシル東京

【開催報告】もやもやフィールドワーク分析編第4回、終了しました

2016年02月09日

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去る1月23日、「もやもやフィールドワーク分析編」の第4回を実施しました。
本企画では、気鋭の研究者をゲストコメンテーターにお招きし、研究員の発表とそれに対するコメント、参加者全員によるディスカッションを通じて、「もやもやフィールドワーク」で得た実践知をつなぎ、深化させることを目指しています。
第4回目、今年度最後の実施となる今回のゲストは、九州大学大学院芸術工学研究院准教授で、芸術社会学者の中村美亜さんです。美亜さんは、音楽を中心に、芸術における非言語コミュニケーションのあり方を、さまざまな分野を横断しながら真摯に問い続けていらっしゃいます。
今回のテーマは、「〈表現する〉とはどういうことか?―非言語コミュニケーションを通して考える東京迂回路研究」。団体名の中心に位置しながらも、今まで取り上げられることが少なかった〈表現〉というキーワードについて深く掘り下げていきます。
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初めに、今までになかった試みとして、ひとり30秒で参加者の自己紹介をおこないました。和やかなムードとともに、多様なバックグラウンドを持つ人々がこの場に集まっていることを改めて認識します。
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次に、長津と三宅より、もやもやフィールドワーク調査編の事例を題材に、東京迂回路研究における〈表現する〉という言葉の位置づけを検証した発表をおこないました。ここでは、主に芸術ジャンルに位置づけられる事例として「平川病院〈造形教室〉」、そうでない事例として「井戸端げんき」を取り上げ、そのそれぞれにおいて①個と個のあいだ、②人と場のあいだ、③人と制度のあいだに〈表現〉が生まれているのではないかと指摘。その上で、〈表現する〉とは、多層的な関係性の中に生じる行為なのではないか、と暫定的に結論付けました。
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続いて、中村美亜さんからのコメントです。美亜さんは、diver-sion側の説明に基づくと、何でも〈表現〉になってしまうのではないか、と指摘したうえで、〈表現する〉という行為に対しての自らの解釈を語る形でコメントがおこなわれました。
まず、〈表現する〉前に表現するものは内面にあるのか、そもそも内面と外面という区分は有効なのか、それが有効でないとすると、表現でないものはあるのか、という問題提起がなされ、それらの問いに答えるために、記号論的理解(イコン、インデックス、シンボル)、社会学的理解(媒介性、アフォーダンス)、認知科学的理解(ミラーニューロン、共感)という3つの捉え方が提示されます。その結果、〈表現する〉とは、つねに状況における互いの関係性の中で成り立つ行為であり、コミュニケーションの基盤である「共感」を生じさせるきっかけになりうるものだ、という考えが提示されました。

最後に、参加者を交えてディスカッションがおこなわれました。福祉やアートの現場に携わっている参加者が多く、自らの体験や実感に基づいた活発な意見交換がなされました。〈表現する〉行為を関係性の中に見出すことは、現場では実感できるが、それは具体的にはどういうことなのか、またその実感を現場にいない人々と共有するためにはどうすればいいのか、という話題から発展し、議論は白熱。〈表現する〉とは互いが共感するための媒介を探していくプロセスなのではないか、共感のためには同じ経験を共にすることが一番良いのではないか、〈表現する〉主体性を見出すために互いの関係の中に入っていくことが重要なのではないか、など、多様な意見が交わされました。

私たちは文化的に類型化された「表現」を重視しがちだが、そうでない人間の生に結びついた〈表現〉を大切にする必要があり、そのためのさまざまな方法をさまざまな場所で見出し、つくり、つなげていくことが、「東京迂回路研究」のすべきことの一つなのではないか、という美亜さんの言葉で、2時間半のイベントは幕を閉じました。

今回の分析編は、最も議論が白熱し、〈表現する〉というキーワードから、「東京迂回路研究」という事業が持つ意義や我々のとるべき態度について、非常に重要な示唆を得たような気がします。美亜さん、参加者のみなさま、ありがとうございました。
今年度の分析編は、これで最後です。今までの成果は、今年度末にジャーナルという冊子の形に落とし込み、発行する予定ですので、そちらもぜひお楽しみにお待ちください。

(報告:石橋鼓太郎)