多様性と境界に関する対話と表現の研究所

アートカウンシル東京

【週報】「地域に根ざしたアートと文化 クロージングフォーラム」を見てきました。

2016年01月18日

こんにちは。新年のごあいさつから間が空いてしまいました。
東京迂回路研究は、現在、3月に発行予定の「JOURNAL東京迂回路研究2」の執筆真っ只中です。

そんななか、東京迂回路研究の事業としてではないのですが、最近見に行ってきたイベントのご紹介です。といっても、まったく東京迂回路研究に関連がないとも言えません。

このフォーラム「地域に根ざしたアートと文化 クロージングフォーラム」は、大阪市の「地域等における芸術活動促進事業」として、市民の課題に芸術文化の力がどのように必要になってくるのかをさぐるべく、約半年間にわたるプロジェクトを実施してきたものの、クロージングフォーラムだそうです。企画をされていたのは、NPO法人こえとことばとこころの部屋(ココルーム)・應典院寺町倶楽部・NPO法人アートNPOリンクの共同事業体のみなさん。
ココルームの代表の上田假奈代さんは、昨年9月のフォーラム「対話は可能か?」にご出演いただきました。そして、出演者のラインナップを見ると…同じくフォーラムにご出演いただいた写真家の齋藤陽道さん、ENVISIの吉川由美さんのお名前も。こんなつながりが、私たちとは異なる形で続いていくことは、今年度「迂回路をつなぐ」ということを念頭に活動してきた私たちとしても嬉しいところ。ということで、何はなくともまずは伺おう、と思い、行ってきた次第です。

結論から言うと、とてもとても濃いフォーラムでした。上田さんはじめココルームのみなさんが主導している「釜ヶ崎芸術大学 合唱部」のみなさんの合唱にいきなり笑い、涙し(実は私も一緒に歌ったことがあります…懐かしい)、齋藤陽道さんと倉田めばさんの筆談対談、吉川由美さんと日本センチュリー交響楽団の柿塚拓真さんの事例報告、そして最後に「キートーク」としたパネルディスカッション。社会包摂ということ、芸術文化の役割について、など、多種多様な事例とそのお話に引き込まれながら、6時間という長さを忘れてしまうような、白熱した時間でした(余談ですが、フォーラムの会場は関西テレビさんのご協力で提供いただいた「なんでもアリーナ」という名前のスタジオでした。しかしなんでもアリーナは飲食禁止。それなんでもアリじゃないやん!と関西人でもない私はツッこんでしまいました)。

なかでもやはり興味をひかれたのは、私たちの活動でもいつもお世話になっている、齋藤陽道さんと、大阪ダルクの倉田めばさんの筆談対談でした。

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齋藤さんがしょっぱなから「一番のナゾは、どうして境界をつくってわかったふりをするのかな、という自分の中の差別や偏見に対して、それをどうやって、うすくできるか、見えなくできるか、ということを言葉のない写真をとおしてさぐっています」と自己紹介。近作をスライドショーで上映し、「言葉をきけないという「聞こえ」を弱みだと思っていたけれど、見方をかえれば、うそっぱちの言葉をぬきにしてそのひとをただ見ることができる。写真においては、イイカンジに作用するな、と気づいた」と続けます。倉田さんはご自身がカメラマンだった経験も踏まえ、「人を撮るとどうしても、思いや言葉や撮る側のコンプレックスが写ってしまいますネ」と応答。倉田さんはまた、上田さんとの出会いに触れるなかで、「上田假奈代さんの詩の学校に行ったのです。自分で書いた詩を自分の声で読むことで、新しい自分の声と出会えるような気がした」と紹介すると、「もっといろんな声のあらわし方があると信じたいと思ってます。この筆談トークもそのひとつです」と齋藤さんが応えます。

この「声」についての話題、9月のフォーラム「対話は可能か?」でも話にあがったことをよく覚えています。声という形をとらない多様な「声」をどのようにあらわすか、ということ。それは音声だけではなく、文字かもしれないし、何らかの行動、ふるまいにあらわれてくるかもしれない。私たちの活動で出会ってきた人たちは、言い換えると、いろいろな方法でその「声」を出し続けている人たちなのかもしれないな、と改めて思いを馳せます。

齋藤さんは最後に、その日たまたま会場にあったおもちゃの駒を手に取りました。水玉模様が描かれているその駒をカメラの前で回しながら、こんなことを言いました。

「このコマのもよう、一点一点独立しているけれど、まわすと点がひとつの線になって。平等もありうるかもな、という、錯覚でも一瞬のよろこびがあって。ぼくの写真をやる理由はこのよろこびがあるからです」

それぞれの存在がが異なったまま過ごしているものが、ある一瞬になにかの拍子に、ふと混ざり合う。それは一瞬のできごとで、あっという間に消えてなくなってしまう。齋藤さんはその瞬間を写真で捉えているといいます。
ふと、私たちがやっていることも、そのような側面もありそうだなと思います。そのままでは捉えきれないものを、私たちの場合は「言葉」にしてとどめておく作業をしているのだな、と。そして、「JOURNAL東京迂回路研究2」も、もしかしたらそんな役割もありそうだなあということを考えました。

いずれにせよ、東京迂回路研究を通じて生まれたつながりが、また再び多様な形で交差するような場を、いろいろなところでつくっていきたいなと感じた1日でした。

(長津結一郎)