多様性と境界に関する対話と表現の研究所

アートカウンシル東京

【連載】フォーラム「対話は可能か?」を振り返る――シンポジウム「対話は可能か」②

2015年12月07日

9月4日〜6日に開催したフォーラム「対話は可能か?」の振り返り連載。
第8回目は、シンポジウム「対話は可能か?」について、来場者の方にもレポートを書いて頂いています。
今回は、沼田里衣さん(大阪市立大学都市研究プラザ 特別研究員)によるレポートです。

*本連載は、フォーラムを多様な視点から振り返るべく、各プログラムについて研究所メンバーと参加者それぞれのレポートを交互に掲載していきます。各プログラムはそれぞれにどのように経験されていたのか。あの場に身をおいた人は何を感じ、思考したのか。お楽しみいただければ幸いです。

__________________________________________

「対話と境界線の線の上に想いを馳せること」
沼田里衣(大阪市立大学都市研究プラザ 特別研究員)

少し前のことだけど、ある写真を見て、ハッとする、という初めての経験をしたのは、このシンポジウムの主催の研究所から送られてきた「JOURNAL東京迂回路研究1」をパラっと開いたときのことだった。目に飛び込んできた写真は、おじいさん、おばあさんたちと介護者が、和室のこたつや陽の当たるソファでのんびり過ごしている様子を撮ったもので、どうやら高齢者が日中にサービスを受けている様子を写したもののようだった。数名がソファで口を開けて寝ていたり、皆で食事をしていたりなど、普段と変わりない日常のはずなのに、何か普通じゃない空気感が写り込んでいた。よく読むと、「井戸端げんき」という千葉県にあるユニークな宅老所でのある風景とのことだが、そこに写っている人や人形までもが、「直接的」とも思える方法で私の目に迫ってきたのだ。どうしてこんな写真が撮れるんだろう?と思っていたが、その写真家本人が今回のシンポジウムの最初の登壇者だった。

keio-20_5958
撮影:冨田了平

その写真家、齋藤陽道氏は、変装して「陽子」として我々の前に現れ(その意図は「ただなりたいから」という以上に自身からは明らかにはされなかった)、企画者の長津氏との筆談によって対談が行われた。次の齋藤の言葉は、その時の私のメモだ。
「『ただ見つめ合うこと』、『ただ存在すること』、そのこと自体がもうすでに声なんだ、ということを信じたい。佇まい、仕草、目線、そういうところばかり見て撮っているんですが、それでも十分に、いやとってもいい写真が撮れていて、ああ声かもしれない、と少しずつ」
ここで私のメモは切れているが、聴覚障害のある齋藤氏は、存在を感じるという方法で相手を見ることによってその声を聞こうとし、その声を写真に撮ろうとしていたのだろう。時々、言葉を交わす前に、一瞬にして通じ合えてしまうような人に出会うことがあるが、この写真家の「ただ見て、ただ存在を感じる」手法は、そうした時に相手が、あるいは互いがとっているであろう、あの独特の対峙の仕方と似ているのかもしれない。

keio-40_5992

さて、二人の対談の後、シンポジウムはパネルディスカッションのコーナーとなった。長津代表から最初に発せられた問いは、「対話の持つ機能が何を可能にするのか」ということだ。それに対して、登壇者の上田假奈代氏と細川鉄平氏からは、日常から様々な人と接する中で培われた対話の知恵のようなものが、また高嶺格氏からは、対話に見られる諸問題をアート作品として客体化させることを通しての思考の過程が語られた。

keio-60_6031
撮影:冨田了平

最初の発表者、詩人の上田假奈代氏からは、地図上にはない、ほとんどが男性で日雇い労働者や野宿者が多い「釜ヶ崎」と呼ばれる地の取り組みについて発表があった。上田氏が運営するココルームという「喫茶店のふりをした」場所では、ふらりと様々な相談事や問題が持ち込まれるそうだが、面白いのは、そうしたおっちゃんとの揉め事や解決の見えない関わりが日常を豊かなものにしているのではないか、と感じさせることだ。
私は以前、上田氏をコミュニティアートセミナーに講師として招待したことがあるが、最も印象に残っているのは、日雇い労働者のおっちゃんたちと紙芝居を披露する為にイギリスに行った時、おっちゃんたちが100円ショップのビニール袋一つ下げて空港にやってきて、配給の日程の為に早めに帰国したという話だ。私にとっては潔くシンプルな生き様に、クラッとくるような逞しさを感じた。そんな人たちと「釜ヶ崎芸術大学」という試みを始めたのだという。「芸術と冠したのは、芸術を生き抜くための技術と考えているから」なのだというが、実際、教えられる側のおじさんたちは、そこでの教師である芸術家や(実際の)大学教授に多くの技術を教えてもいるのだろう。今回の発表でも、上田氏が他の地域から招聘される際、「おじさんたちと一緒に出かけると、地域に横たわっている何かを刺激するようで、非常に面白いお話が始まる」という報告があった。対話というのは、教え、教えられる関係のバランスが両者の間で上手くとれる場が設定された時に、成立するのかもしれない。

keio-62_6038
撮影:冨田了平

次の発表者は、家族を拡張していく方法で通所介護事業所サービス「凡(ぼん)」を運営している細川鉄平氏で、写真とともに日常の様々な出来事が紹介された。独特の関西弁の早口トークは、UDトーク(*)の画面が崩壊するほどの破壊的なスピードで進められ、エピソードはオチのないまま次々と展開された。オチがない理由は、個人に起因する病気や障害ゆえの理不尽と思える行動が、それに対応する細川氏の個人的感情(仕事とは言え「ほんまにどついたろかと思った」など)を駆け抜けて、嫁や子供との問題や別の人の問題と絡まり合い、最後には不思議と宙に浮いたように消え去ってしまうからだ。その現実を流す知恵とは、関係を複層的に捉えることにあるように思われた。
凡で過ごす10人程度のコミュニティにおいて、関係が凍りつき、場の雰囲気が悪くなるような場面はしょっちゅう起こる。それをどうにかやり過ごす知恵とは、「Aさんのことを許されへんけど、その人はBさんのことを許されへん気持ちを解消してくれるから、それでAさんも許す、という入れ子構造」だと言う。Bさんの困った行動に誰も強い口調で言えないのに、Aさんだけはそれをやってのけてしまうから、Aさんに対するマイナスの感情はそれで解消されてしまう、というのだ。「個人対個人でイデオロギー的な話は、合う合わないは、永遠に埋まらない。お互いの利害関係のない別の誰かがそこにいたら、なんか知らんけどその人を通じて繋がってしまうということがある」と、細川氏は述べる。このようにして、凡では、ただそこに居ることによって対話が複層的に機能するように場が作られ、そこで生じた負の出来事もそのまま飲み込んでしまう、しなやかでしたたかなコミュニティが形作られていた。

keio-74_6063
撮影:冨田了平

最後の発表者、美術家で大学の准教授でもある高嶺格からは、自らの好奇心を原動力として、対話の中に現れる関係の非対称性や見えない分断などを鮮やかな技術によってアート作品にしてきた例が語られた。その手法とは、抑圧されている人、周縁にいる人といった自分の好奇心の対象をいったん自分に憑依させ、そうしてなぜ自分がその状態になったのかを観察することにより、そうした人々に対しての視線や気遣いがどのようなものなのか知るというものだ。
例えば、「大きな休息 明日のためのガーデニング」では、美術館に廃材を置いて意味のないものが並んでいる状態を作り、目の見えない人とその空間を歩くという展覧会を行った。けれども、それは結果として、「お互いに何をやっているのか全くわからない」、「何のためにこの時間が流れているのか全くわからない」という感想をもたらし、同じ時間を共有することが、いかに幻想かということに気づかされたのだと言う。目の見えない人が推測した物体の説明に対して、目の見える人が(配慮をして)間違っていると言わなかったとして、その気遣いすらも意味をなさないような「特殊な感覚」があったというのだ。廃材という意味のなさと行為の不可解さが、それを体験する者の感覚の違いをさらに複雑なものにしたのかもしれない。
こうした立場の違いに起因する分かち合えなさは、しかし、高嶺によればそれほど問題ではないと言う。「個人レベルでは、自分と違う人に憑依してみることは実践可能」で、「イデオロギーの違いの方がよっぽど厄介」という考えに至ったようだ。そこで高嶺氏は、現在の我々の身近で起こっている問題、原発の話題をすることがタブーであるような「分断」をテーマとした作品を紹介した。「分断状態をいかに解決するのか、と言った時に、分断させている人との対決だと思った」という氏は、なぜ私たちが分断させられてしまっているのかを、作品を通して問おうとする。
その他にも、現在進行中のものを含めて幾つかの作品の紹介があったが、実際に作品を体験したわけではないが、何か収まりのつかぬ違和感のようなもやもやしたものが残される、その感覚こそ、こうした作品の醍醐味であり、作品が生きている証拠でもあるのだろうと感じた。分断、あるいはそこに引かれる境界線のその向こうに想いを馳せ、さらにそこから我々に何ができるのかを考えた時、もしかするとその境界線が何か違うもののようにふと思うことができるのかもしれない。高嶺氏の問いは、対立や分断という現実を各々が認識すること以上に、その線上にある何ものかを思考することの可能性を示唆していたように思う。

keio-82_6097
撮影:冨田了平

シンポジウムは、この後ディスカッションと質問コーナーとなった。詳しくは割愛するが、印象に残ったのは、上田氏が、高嶺氏の「時間を共有することが、いかに幻想か」という言葉を引き合いに出しつつ、細川氏の報告に対して、「不確実なところに私たちがいて、その不確実さをギリギリながらも交えて行く時に、幻想なんだけど、幻想をもう一度ひっくり返す、ということが日々あることを駆け抜けて行っているのだなあ、と思いました」と言う発言だ。
対話の機能について、様々な例から重要な知見を得ることができたシンポジウムであった。それは、もう一度日常に返してみてこそ、その意味が本当に見えてくるのだろう。

*UDトーク:情報支援のための音声認識字幕のアプリ


連載「フォーラム「対話は可能か?」を振り返る」
☆フォーラム「対話は可能か?」についてはこちらから

[1]前夜祭「幻聴妄想かるた」大会① 長津結一郎
[2]前夜祭「幻聴妄想かるた」大会② 東濃誠
[3]トークセッション「共に生きるということ」① 井尻貴子
[4]トークセッション「共に生きるということ」② 岩田祐佳梨
[5]「Living Together × 東京迂回路研究」① 石橋鼓太郎
[6]「Living Together × 東京迂回路研究」② 岩川ありさ
[7]シンポジウム「対話は可能か」① 三宅博子
[8]シンポジウム「対話は可能か」② 沼田里衣