多様性と境界に関する対話と表現の研究所

アートカウンシル東京

【週報】TOKYO PAPERに掲載されています。

2015年12月19日

師走ですね。ぐっと気温も低くなり、冬の訪れを感じます。

さてこの度、公益財団法人東京都歴史文化財団が発行する「TOKYO PAPER」に、代表の長津のインタビューが掲載されました。「東京、この街の手触りを探して」というテーマで、東京のなかでの居場所について話すコーナーの一環です。いろいろ「居場所」の候補を考えたのですが、結局のところ、いつもお世話になっている「芝の家」のお話をさせていただきました。
じつは、こんな短い記事ですが、じっくり1時間以上インタビューをしていただきました。なので、掲載に至らなかった話もあります。ちょっとだけその話に触れたいなと思いました。…といっても、私自身の話ではなく、おなじみ木更津の井戸端げんきの加藤さんのエピソードなんですが。

フォーラム「対話は可能か?」にお越し頂いた加藤さん。ご出演は一日だけだったのですが、宿泊までしていただき、次の日まで滞在くださるとのこと。え、どこに泊まるんですか? と尋ねると、嬉々として「カプセルホテルだよー、田町の駅前の!」と答える加藤さん。たしかに、田町の西口方面に1軒、少し古びたカプセルホテルがあります。普段の印象では、カプセルホテルというのは、すこし寝心地が悪く、隣の人の物音も全部聞こえてしまうような、居心地の悪さを感じます。その加藤さんの嬉々とした表情を意外に思っていると、加藤さんはこう続けました。

「カプセルホテルってさ、なんか〈ひとりぼっちたち〉って感じがするんだよね!」

このときに私は、ああ、とても加藤さんらしいな、と思いました。そういえば加藤さんは、昨年度発行した「JOURNAL東京迂回路研究1」でもこんな言葉を寄せてくださっていました。

迂回してもいいじゃん、生きたいって思っているならさ。その生き方を可愛がらなくてもいいから邪見しないでやろうよ。そんだけで何とか生きていこうと思える人ってけっこういるもんだからさ。かわいそうだからって仲間に入れる必要もない、だからと言って独りにする必要もない「ひとりぼっちたち」ってところになれたりいいのかな。いくら少数派で仲間とか絆なんてもんを作っても手をつなげなきゃひとりぼっちだもん。何かごちゃっとそこにいるくらいの場所がないと今の世の中は生きづらいって。(加藤正裕「ひとりぼっちたちの居場所」『JOURNAL東京迂回路研究1』p.55)

「ひとりぼっちたち」というのは、その、いろんな人がただそこにいるんだけれど、そのままでそこにいるという状態のことを指しているんだなと感じ、私たちが井戸端げんきにおじゃました時の光景も、そういえばそんな風景だったのかもしれないな、と思いました。
東京の居場所、というお題を今回いただいたときに、まっさきに私が思い起こしたのはこの話でした。多様な人がすでにともに暮らしている東京のなかで、それぞれがそれぞれのまま過ごしていて、時折接点を持ったり持たなかったりする、その様態の変化そのものを表象している場所に、居心地の良さを感じるなあ、ということに思いを馳せました。

カプセルホテルの話は掲載されませんでしたが、そのほかのエピソードも、根底にそういうような思いがあって紹介をさせていただいたものです。他の方の記事も面白いので、よろしければぜひ。

TOKYO PAPERは、ウェブサイトからも読めますが、実物も無料配布されています。

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こんな感じで。長津がよく使う駅のラックにて。

公益財団法人東京都歴史文化財団関連施設、美術館・ギャラリー、公立文化施設、店舗、観光案内施設、ホテル、都営地下鉄駅ラック、美術大学・大学・専門学校・インターナショナルスクールなどに配架されているようです。無料配布とのことですので、ご確認はお早めに。

(長津結一郎)