多様性と境界に関する対話と表現の研究所

アートカウンシル東京

【連載】フォーラム「対話は可能か?」を振り返る――シンポジウム「対話は可能か」①

2015年11月30日

9月4日〜6日に開催したフォーラム「対話は可能か?」の振り返り連載。
第7回目は、シンポジウム「対話は可能か?」について、研究所スタッフの三宅によるレポートです。

*本連載は、フォーラムを多様な視点から振り返るべく、各プログラムについて研究所メンバーと参加者それぞれのレポートを交互に掲載していきます。

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言葉の終わるところで交わされる「ことば」―シンポジウム「対話は可能か?」 2015年9月6日

「対話は可能か?」というテーマを掲げて、3日間に渡り開催してきた、東京迂回路研究フォーラム。9月6日の午後、慶應義塾大学三田キャンパスで行われた最後のプログラムは、フォーラム全体を振り返り、あらためて「対話とは何か」を問いかけるシンポジウムである。このシンポジウムでは、それぞれの場で「対話とは何か」という地平に立ち、「共に生きる」ことと向かい合ってきた方々をゲストに迎え、対談とパネルディスカッションを行った。
 不思議なシンポジウムだった。饒舌に意見が交わされるというよりも、むしろ言葉を重ねれば重ねるほど、だんだんと語るべき言葉を見失っていくような。しかし、言葉が終わるところからはじまる「ことば」、―あるいは、こう言ってよければ「対話」―の気配や感触を、たしかに感じた時間でもあった。

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 前半は、写真家・齋藤陽道さんと、diver-sion代表理事・長津結一郎の筆談による対談「まるっきり違うのにそれでも似るもの―迂回路をめぐって」。このタイトルは、企画の打ち合わせで「迂回路」について話しているときに、齋藤さんから発せられた言葉をいただいたものだ。東京迂回路研究の名を掲げて、1年間さまざまな場所へフィールドワークに赴いた私たち研究所員が、今どのように「迂回路」を捉えているのか。出会ってきた場の個別性と、その背後に流れるある種の共通性についての、私たちのつたない話を、齋藤さんは的確な言葉で言い当ててみせた。「まるっきり違うのにそれでも似るもの」。それを求めて、齋藤さんは写真を撮っているのだという。
 対談の最初に上映された齋藤さんの写真には、全く異なるものの奥にひそむ、わずかな重なり合いの瞬間へのまなざしが、見事に映し出されていた。それは、言葉ではない「ことば」として、じかに私のイメージに語りかけてくる。齋藤さんは記す。「こうして筆談をするということ…言葉が直に、とどかないという思いは常にあり、」「言葉ではなくみつめあうことで、伝わるもの、それを声と呼びたい。…音声だけが『声』としてしまうと、それではあまりにもきゅうくつで。写真を通して、他者のまなざしとぶつかりあうことで、言葉もなく心になだれこんでくるものがあるなと知るようになり、『ただ見つめあうこと』『ただ存在すること』そのこと自体がもうすでに声なんだ、ということを信じたいんです。」

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 存在から発せられる声。それは、他者のたたずまいやしぐさ、目線、ふるまいをただ見つめようとすることを通じて、時にか細く、時にあふれるように、聴きとられる。書画カメラを前にして並ぶ「陽子」さんと長津の手元には、自然と観客の視線が集まり、静寂のなか会話の行方が見守られる。書かれる言葉のやりとりは、音声を介したやりとりよりも精緻に、流れが跡づけられるのが見てとれる。だが私には、観客がしきりに「声」に耳をすましているかのように感じられた。

 後半は、詩業家の上田假奈代さん、大阪で介護事業所を営む細川鉄平さん、美術家の高嶺格さん、長津によるパネルディスカッション「対話は可能か」。司会は、研究所員の井尻貴子が務めた。
まず、長津から、東京迂回路研究が生まれた経緯と、このフォーラムの企画意図について語られた。対話というテーマは、たんに多数派/少数派に線引きされた世界で、少数派の人たちが生きやすくなるためのものではない。すでに共に生きている多様な人々のあいだに、無数にひかれる境界線。そのただなかで、異なる生を歩む私たちは、いかに「共にある」ことができるのか。そこで必要となる対話とは、どのようなものか。そして、対話が持つ機能は、何を可能にするのか。長津の問いかけは、社会に生きるすべての人たちに関係のあることとして、対話を捉えようとしていた。

 詩業家の上田假奈代さんは、大阪・釜ヶ崎にある「喫茶店のふりをして、多様な人々が出会い、お互いに表現しあう場」ココルームを拠点に、高度経済成長を支えた日雇い労働の“おっちゃん”たちと日々を共にしている。ここは、お金がなくてもふらりと顔を見せ、悩み事や困り事を「なんか、なんか、なんか」と言いに行ける場所である。ココルームは、そんな人々と地域とをつなぐ場所として機能している。印象的なのは、その方向性が一方向的ではなく、まさに「お互いに表現しあう」多方向的なものであることだ。たとえば、夏祭りでの習字コーナー開設など“おっちゃん”たちが地域で表現する機会を作る一方、野宿者におむすびを配ることで、私たちが野宿について考える機会を作りだす、といったように。
 「学びたい人が集まれば、そこが大学になる」という考えのもと、哲学、ガムラン、天文学など、さまざまな講座を開講する「釜ヶ崎芸術大学」というプロジェクトでは、さらなる出会いと触発が生まれている。芸術を「生き抜くための技術」と捉え、困難を生き抜いてきた人々と一緒に、釜ヶ崎から美を語り、芸術を語っていきたいという上田さん。出張で“おっちゃん”たちと「一緒に出かけると、地域に横たわっている何かを刺激するみたいで、非常に面白い話が始まる」と述べる、その淡々とした語り口からは、日々の生活のなかで営まれてきた「存在の声」が、たしかなものに感じられた。

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 細川鉄平さんは、大阪の介護事業所「凡(ぼん)」での日々を、写真とそれにまつわるエピソードにより紹介した。「“嫁はん”と2人で始めた」自宅兼事業所では、「介護」をめぐる関係と、「家族」をめぐる関係とが、わざと複雑に絡まり合い、オーバーラップされているように見える。ラップのように繰り出される、関西弁の独特なリズムも一役買っているようだ。たとえば、イライラして外に走り出た利用者についていった“嫁はん”が国道に投げられたと聞き、俺の嫁に何してくれてんねん!と怒る細川さん。「その時は認知症とかもう関係ないんです、人との間のことなんで」。しかも、その時「どつくぞ」と言った利用者に“嫁はん”が「私のやり方が悪いからです」と答えたと聞いて、今度は「そうやねん、うちの嫁はん、自分が悪いっていう体にして、こっちを責めてくるやろ」と、その利用者に共感する。こうして、個人的な関係に起因する感情が、別の人との関係における異なる感情と脈絡なくつながり、それがまた別の人の生きてきた関係に及ぶことによって、不意に全く別様の関係へとひらかれる瞬間がある。細川さんと“嫁はん”がにらみ合う気まずい雰囲気のなかで、それまで頑として風呂に入らなかった人が「風呂に行くわ」と言った場面は、まさにそんな瞬間だったのだろう。
 人と人がいれば、そこにはさまざまな軋轢や揉めごとが生まれる。家族ともなれば、なおさらである。利用者も、細川さん自身も、どうしようもない関係の絡まりのなかで生きている。しかし、そこに別の誰かがいることで、その人や出来事を介して全く異なる次元が繋がってしまうことが起きうる。そこでは、弱さをも抱えた説明のつかない存在こそが、逃れられない関係をやり過ごす鍵となるのだという。

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 美術家で、大学の准教授でもある高嶺格さんは、いつの頃からか、いわゆる周縁にいる人たちに対しての視線や気遣い、世界の中での自分の立ち位置などに、好奇心や問題意識を持つようになったという。そのような興味のもと、さまざまなアイデンティティーを持つ人と関わりながら作ってきた作品について語られた。たとえば、ニューヨークの路上で次々と服を交換していくパフォーマンスや、釜ヶ崎で何も書いてない真っ白なプラカードを持って、労働者に訴えたいことを書いてもらうアクションなど。なかでも、重度の身体障害のある木村さんとの介助を通した関わり合いは、自分自身の身体と同化していくようなプロセスだったという。「最初はどうしていいか全く分からなかったのが、互いの間だけで通じるコミュニケーションの方法を発明していくような感じ」を、高嶺さんは「共犯関係」と表現した。
 しかし同時に、高嶺さんの問題意識は、「異なる人々との対話」に潜む引っかかりや、その分からなさをも鋭く切り取ってみせる。目に見える人と見えない人が一緒に鑑賞する展覧会は、「何かを共有すること、時間を共有することが、いかに幻想かっていうことに気づかされる」機会となった。震災後に制作されたビデオでは、魚の産地を巡って交わされる店員と客との会話に、どっちに行っていいのかわからないグレーゾーンのような分断のありようが表現されていた。
 最近、高嶺さんは「自分が拷問されるかもしれない」という感覚がどっと迫っているという。『明日の拷問』展では、自分が拷問されている場面を公募した。そこには、社会のある種切迫した空気のなかで、自分が置かれている状況を問い、想像をクリアにして備えようと呼びかける意志があった。

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 休憩を挟んで、ディスカッションに入る。全く異なる言葉と語り方の根底にある、対話の様相。それは、「不確実なところに私たちがいて、その不確実さを、ギリギリながらも交えている」とき「その瞬間に判断を下さない」ことによって「不確実さに希望を持つ」ことであり(上田さん)、「自分と違う人に憑依し」「他人の経験を身体に沁みこませる」実践を通じて「対話は可能かという問いに興味のない人のことを考える」ことであり(高嶺さん)、言葉での意思疎通がない人とやりとりを続けながら「いつか来るであろう、波が収まるときをひたすら待っている」(細川さん)ことである。そこには、人がいて、応えざるを得ない関係ができ、一日一日が鮮やかになっていく。そこで交わされる言葉や振る舞いや投げかけは、言語/非言語のような対比ではなく、それぞれの「ことば」として在るように感じられた。

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 最後に、フロアから「言葉にならないような対話の様相をあえて言葉にしようとするのは、なぜか。そこに何があるのか」という質問があった。フォーラム全体、そして東京迂回路研究そのものに突き付けられた問いに、明確な答えはない。しかしそれでも、私たちの身体を通り抜けていく事柄を言葉にし、応答し続けていく。その場をいつも未来へ向けて、まだ見ぬ他者へ向けて開いておこうとすることが、今出来ることなのではないかと思う。

(三宅博子)


連載「フォーラム「対話は可能か?」を振り返る」
☆フォーラム「対話は可能か?」についてはこちらから

[1]前夜祭「幻聴妄想かるた」大会① 長津結一郎
[2]前夜祭「幻聴妄想かるた」大会② 東濃誠
[3]トークセッション「共に生きるということ」① 井尻貴子
[4]トークセッション「共に生きるということ」② 岩田祐佳梨
[5]「Living Together × 東京迂回路研究」① 石橋鼓太郎
[6]「Living Together × 東京迂回路研究」② 岩川ありさ
[7]シンポジウム「対話は可能か」① 三宅博子
[8]シンポジウム「対話は可能か」② 沼田里衣