多様性と境界に関する対話と表現の研究所

アートカウンシル東京

【連載】フォーラム「対話は可能か?」を振り返る――「Living Together × 東京迂回路研究」②

2015年11月23日

9月4日〜6日に開催したフォーラム「対話は可能か?」の振り返り連載。
第3回目は、トークセッション「共に生きるということ」について、来場者の方にもレポートを書いて頂いています。
今回は、岩川ありささん(現代日本文学/研究者)によるレポートです。

*本連載は、フォーラムを多様な視点から振り返るべく、各プログラムについて研究所メンバーと参加者それぞれのレポートを交互に掲載していきます。各プログラムはそれぞれにどのように経験されていたのか。あの場に身をおいた人は何を感じ、思考したのか。お楽しみいただければ幸いです。


境界を愛するということ
岩川ありさ(現代日本文学/研究者)

shibaura-127_5807撮影:冨田了平

 二〇一五年九月五日、コミュニティ・スペースSHIBAURA HOUSEで、「Living Together × 東京迂回路研究」が開催された。Living Togetherとは、HIVのリアリティを身近なものとして生きる人びとの声を届けるためのプロジェクト。二〇〇五年からはじまり、HIVを抱える人、そのパートナー、家族、友だち、職場の仲間などの手記を収めた冊子を作成し、朗読イベントも数多く行っている。Living Togetherの合言葉は、「HIVを持っている人も、そうじゃない人も。ぼくらはもう、いっしょに生きている。」というもの。どのイベントでも掲げられるフラッグにはこの言葉が大きく書かれていた。偏見や無知によって、現在の日本社会では、「あちら側」の世界としてHIV/AIDSを捉えることがまだまだ多い。今回のイベントは、「あちら側」と「こちら側」を分けようとする境界線を解きほぐし、多様な人びとがともに集まって話す場を創り出そうとする意志に満ちていた。
 登壇者は三人。それぞれの人が一編の手記を朗読する。最初の朗読者は陽子さん。陽子さんは手話を用いて朗読した。会場に手話がわかる人の数は少なかったが、誰もが陽子さんの指先に魅入った。陽子さんの朗読が終わると、大きな拍手が起こる。軽く頭を下げて陽子さんが裏手に戻る。陽子さんがもう一度登場するまでのあいだ、司会の長津結一郎さんとマダム ボンジュール・ジャンジさんが、HIV/AIDSの「現状」について話した。新宿二丁目にあるセクシュアル・ヘルスに関する情報拠点であるaktaで活動をしているジャンジさんの話は、データも含めて、HIVについて理解する助けになるものだった。準備が整い、再登場したのは、写真家の齋藤陽道さん。今まで陽子さんだと思っていた人が齋藤さんに変わる。

shibaura-136_5824撮影:冨田了平

 齋藤さんは、『感動』(赤々舎、二〇一一年)、『宝箱』(ぴあ、二〇一三年)、『写訳 春と修羅』(ナナロク社、二〇一五年)などの写真集を刊行している写真家。陽子さんのときには手話を用いていた齋藤さんが、今度は自分の声で手記を朗読した。手話から音声言語へ。女性から男性へ。陽子さんから陽道さんへ。「ものの見え方」がガラリと変わる経験だった。今回、齋藤さんが朗読したのは、東京在住のユウジさんの手記。その手記にはこう綴られている。

 人間であることしか、できない瞬間がある。世界が抱えている問題は果てしなく難しく、自分なんて人間一人が抱えることができるのはいつだってシンプルでしかない。HIVに感染し、図らずも抱えてしまった問題を、どうせならもっともっと、きつく抱きしめていきたいと思った。願わくば、『ひとりで』ではなく。(「新・僕らのPositive Diary 7」ぷれいす東京より)

 齋藤さんはかつて、日本近現代文学・障害者文化論が専門の研究者・荒井裕樹さんとの筆談対談の中で、「『境界線』というのは言い換えると、言葉に直して「これでわかった」と思考停止することです。だから、わからないということにどれだけ長く座っていられるかということを思います」(「その傷のブルースを見せてくれ」『SYNODOS―シノドス―』)と語っている。ユウジさんの手記を読みながら、齋藤さんは、やはり、「わからない」ままでとどまったのではないだろうか。いつも、私たちは、「わからない」からこそ誰かと一緒にいたくなる。「わからないあなた」がたまらなく愛おしい。「わからないあなた」のことを知りたくてたまらない。誰かと共に生きることの喜びはそこにのみあるのではないだろうか。齋藤さんの朗読は、そのことを思い出させてくれるものだった。

shibaura-140_5832撮影:冨田了平

 次に朗読をしたのは佐藤郁夫さん。佐藤さんは、一九五九年に東京で生まれた。高校生の頃に自分がゲイだと意識しはじめたが、そのことを認めるのは怖かった。だから、「普通」に見えるように過ごしたという。三〇代になって母を亡くし、残された父のために見つけた自己探求プログラムに参加して、そのときに自分らしく生きようと決意した。しかし、一九九七年、結核治療の過程でHIV陽性であることがわかる。失意にくれる日々だったが、妹たちへのカミングアウト、パートナーとの出会い、周囲の人たちの温かさに触れるうちに、自分には大切なものがたくさんあることに気づいた。それは大きな転機だった。
 佐藤さんがはじめてLiving Togetherのイベントで朗読したのは、二〇〇七年一二月のこと。「HIV陽性者」として話したい、けれども、ゲイの仲間たちにカミングアウトできない自分がいた。心境の変化が訪れたのは、現在のパートナーとの出会い。佐藤さんは手記を公表することに決めた。佐藤さんがパートナーと出会って一年目のことを書いたのが、今回、朗読された「丁度、つつじの花が・・・」とはじまる文章だった。

 丁度、つつじの花が街に溢れる季節。彼と出逢って1年目を迎えていた。
 メール送信⇒<ごめんね。今日検査の結果を聞きに行く日だったね。本当ならメールじゃなく、昨日までにちゃんと話をしなければいけなかった。大丈夫だとは思うけど、やっぱり感染させてたら・・・と思うと心配なんだ>

 佐藤さんがパートナーに送ったメールへの返事には、「大丈夫だよ。もし感染したら、一緒に治していきましょ」という言葉。パートナーの結果は「HIV-」だったが、夕飯を食べながら、二人はおさえきれない涙を流した。現在では、HIV/AIDSは「死の病い」ではない。早期に発見し、治療をはじめれば、薬でコントロールできるようになっている。佐藤さんはそのことを伝えようと、NHK・Eテレ「ハートネット」のホームページでエッセイを連載中だ。「HIV+だよ」と言っても、「そう」と軽く答える人がくる日を目指して活動を続けている。
 最後に登場したのはラッパーのGOMESSさん。中学二年生の頃、はじめてリリックを書いた。一八才のとき、音楽事務所にスカウトされ、地元の静岡から上京した。この日のイベントで、GOMESSさんは朗読とライブを行った。自己紹介のようにして歌われたのは、「障害」という曲。「生活の中で一番基本としていること」を歌っているという。

その障害は 何のためでもなく
その障害は 何の役にも立たず
その障害は ただそこにある
エゴイズムその一言で片付くような たったそれだけのことでした
小学五年生 一〇歳の秋に診断された

自閉症発達障害先天性 生まれた頃 あった なかった
どっちでもいい 後からついた ついてない どっちでもいい
たまたまパニックを起こした 目の前が真っ白になった 見えなくなった
生まれたときのことを思い出すような気分で
目を覚ました時に泣きっ面 
(「障害」) 

 この曲「障害」の歌詞は、この日この場所でフリースタイルと呼ばれる即興によって紡ぎ出された。自分の経験を歌うGOMESSさんは、ラップのルールはシンプルだという。「順番が来たら、自分の感じた事を自由に表現するだけ」なのだ。GOMESSさんは、ラップに出会ってから、「コミュニケーションの息苦しさ」から解放されたという。今回のイベントでGOMESSさんが朗読したのは、大阪府に住むT/Zさんの手記。T/Zさんは、次のように綴る。

 HIVに感染したことはゲイに生まれてしまった俺への罰なんだとも思った。子供の頃からずっと見え隠れしていた言葉がくっきりと頭に浮かんだ。「俺は生まれて来なければ良かった。」「俺は生きていても何の役にもたたない。」“不必要な存在”その言葉が頭の中ではっきりと文字となって表れた。それから俺は本当に不必要な存在になってやろうと思った。(「OUR DAYS [Episode 2]」エイズ予防のための戦略研究・MSM首都圏グループより)

 二人の「生涯」はまったく別のものだ。けれども、T/Zさんの手記と「障害」という曲とは不思議なほど符合する。自分のことを認めない社会。それなのに、自分ひとりでは生きられないということを二人は感じている。絶望から出発した二人が他者のあいだで生きることを知ってゆく。GOMESSさんがT/Zさんの手記の最後にあるフレーズ「あなたは必要な存在として生まれてきたんだ。俺と出会ってくれてありがとう」という言葉を読んだ場面が今でも心の奥底に響いている。GOMESSさんがT/Zさんの手記を読んだことによって、二つの「生涯」が交差したように思った。
 GOMESSさんが最後に歌ったのは、「1番僕らしい曲」という「人間失格」。彼の魂が歌っているような代表曲のひとつだ。

普通じゃねって並外れてる 人が呼んでる障害者のクズです
馬鹿にして カモにしてる アイツは頭がイカレテル
My name is GOMESS 人間じゃねー 孤独の世界からいつも見てる
笑って 怒って 怒って 泣いて 人に紛れてもう21年(「人間失格」)

 他人が名づけた名前に抗うようにして、GOMESSさんは歌う。無数の境界線が張りめぐらされて息苦しい世界。その中で、それでも生きた証拠を残そうとしている。

 SEXに依存しまくったこともあるし、合ドラなのかなんなのかわかんないのにも手を出した。だけど、なれないんだよね、不必要な人間になんて。だって、今までの人生で知り合った周りの人間が、こんなゲイでポジで役立たずな人間でも“必要”だって言ってくれるんだもん。(「OUR DAYS [Episode 2]」エイズ予防のための戦略研究・MSM首都圏グループより)

 これはT/Zさんの手記にある言葉。苦しみながらたどりついた言葉だ。いつか、「あなた」と「わたし」を隔てる境界線を問いながら、その境界を愛することはできるだろうか。自分を一番傷つけるそいつといっしょに生きて、今は名づけえない誰かと出会う。「ぼくらはもう、いっしょに生きている」。その言葉を道標にして、私たちは境界というものが誰かと出会うための場所だということを知ってゆく。そこで生まれた対話はいつか誰かを救うだろう。何度でも何度でも。

shibaura-158_5866撮影:冨田了平

 最後に私からも手紙を書かせてください。
 齋藤陽道さん。私はあなたの「仕掛け」に驚きました。世界が変わって見える経験をしました。けれども、例えば、トランスジェンダーの人はそんなに簡単にジェンダーを変えたりはできないんです。着脱可能じゃない境界をいつも生きています。いつか機会があったならば、きっと、その話をしたいです。写真、これからも楽しみにしています。佐藤郁夫さん。あなたの落ち着いた声が今のあなたの優しさや威厳を伝えてくれます。「つつじの頃・・・」という手記の中に、ファミレスで泣いたという場面があったでしょう。私も泣きました。温かさと勇気に満ちた言葉を憶えておこうと思います。最後に、GOMESSさん。言葉が決めた境界線があなたを追いかけてきても、きっと魂にまでは及ばないと、そのことを知っている人のように感じました。これから先もどれだけ魂が歌うのか。きっとまた聴きに行きます。


連載「フォーラム「対話は可能か?」を振り返る」
☆フォーラム「対話は可能か?」についてはこちらから

[1]前夜祭「幻聴妄想かるた」大会① 長津結一郎
[2]前夜祭「幻聴妄想かるた」大会② 東濃誠
[3]トークセッション「共に生きるということ」① 井尻貴子
[4]トークセッション「共に生きるということ」② 岩田祐佳梨
[5]「Living Together × 東京迂回路研究」① 石橋鼓太郎
[6]「Living Together × 東京迂回路研究」② 岩川ありさ
[7]シンポジウム「対話は可能か」① 三宅博子
[8]シンポジウム「対話は可能か」② 沼田里衣