多様性と境界に関する対話と表現の研究所

アートカウンシル東京

【連載】フォーラム「対話は可能か?」を振り返る――「Living Together × 東京迂回路研究」①

2015年11月16日

9月4日〜6日に開催したフォーラム「対話は可能か?」の振り返り連載。
第5回目は、「Living Together × 東京迂回路研究」について、研究所インターンスタッフの石橋によるレポートです。
*本連載は、フォーラムを多様な視点から振り返るべく、各プログラムについて研究所メンバーと参加者それぞれのレポートを交互に掲載していきます。

 


 
「言葉」を「聞く」こと――「Living Together × 東京迂回路研究」  2015年9月5日

Living Together Loungeは、新宿二丁目のクラブやラジオの電波を通して開催されている、HIV陽性者が書いた手記の朗読と音楽を組み合わせたイベント。手記の朗読者は、膨大な数の手記を事前に読み、その中から自分が共鳴し、読んでみたいと思ったものを選ぶ。そして、朗読の後には、朗読者の手記に対する感想が述べられる。演奏される/流される音楽は、手記の内容に関係があるものから、全く関係無いものまでさまざま。このような一連の流れを通して、その場にいる人々は、「HIVを持っている人も、そうじゃない人も、ぼくらはもう、いっしょに生きている。We’re already living together.」という、このイベントのキャッチフレーズを体感する。

今回のイベントは、その東京迂回路研究版。さまざまな境界線を引かれた多様な人々が、「これから共に生きる」のではなくて、「もう既に共に生きている」のだとする考え方は、東京迂回路研究の理念とも共鳴し、私たちの活動の中でとても大切にしていくべき言葉となっていた。この感覚を来場者のみなさまに体感していただくべく、手記を朗読いただきたいと思った方にお声がけをし、Living Together Loungeを支えているNPO法人aktaさんのご協力をいただきながら、このようなイベントが実現する運びとなった。

会場は、全面ガラス張りで、昼と夜でガラリと表情を変える、SHIBAURA HOUSE 5階のバードルーム。司会は、代表の長津結一郎と、NPO法人aktaのマダム・ボンジュール・ジャンジさん。ジャンジさんは、ドラァグクイーンの華麗な衣装とともに、過去のLiving Together Loungeで何度も司会をされている。

shibaura-118_5788
撮影:冨田了平

最初の朗読者は、齋藤陽子さん。HIV陽性者の手記と、それに対する陽子さんの感想が、手話のみで語られていく。自分も含め、手話を習ったことがない方にとっては、手話のみで話を「聴く」ということは、それだけでとても新鮮な体験であった。手の動きや形から意味を推測しながら、手話が持つ独特の表情の豊かさに引きこまれてゆく。印象的だったのが、人差し指を左右に払って、何度も空中に描かれた、「人」という文字。このような、意味が比較的はっきりと分かる手話もあれば、意味が読み取れず推測することしかできないような手話もある。このような状況の中で私が感じたのは、「もどかしさ」ではなく、不思議な「心地良さ」であった。

shibaura-123_5798
撮影:冨田了平

司会を挟み、ジャンジさんより、日本でのHIVの現状が語られる。医療が発達し、予防や治療の手段も増えてきている現在でも、HIVにかかってしまったことで悩み、苦しんでいる人々がたくさんいらっしゃる。そのような人々の声は、普段生活している中ではあまり聴こえてこないが、彼らとも「もう既に共に生きている」のだ、ということを、手記というリアルな声の朗読によって体感していただきたい、とおっしゃっていた。

次の朗読者は、活躍めざましい写真家であり、「障害者プロレスラー」としての顔も持つ齋藤陽道さん(陽子さんとの関係は、秘密です)。陽子さんが手話で語った手記・感想と同じ内容が、こんどは声によって語られていく。しかし、同じ内容だということは、観客には共有されていない。先ほどの手話で自分が想像した内容を再び想起しながら、また、陽子さんと陽道さんの関係や「違い」に思いを馳せながら、朗読が進んでいく。

shibaura-134_5821
撮影:冨田了平

次の朗読者は、佐藤郁夫さん。佐藤さんは、HIVの予防啓発活動を精力的におこなっているNPO法人ぷれいす東京で長年活動をされており、過去のLiving Together Loungeでも何度か朗読をされたことがあるそう。佐藤さんには、ご自身の経験に基づいた手記を朗読いただいた。「すみません、練習の時は大丈夫だったのですが…」と言葉を詰まらせながら語られる、自らの経験。時間を経て、今の自分から過去の自分が書いた手記に対する感想が述べられる。最後には、過去の自分に応えるような形で、佐藤さんが最近執筆された別の手記が朗読された。Living Together Loungeでは、手記を書いた本人とは別の人が朗読をおこなうことが多い。そのプロセスは、HIV陽性者の経験を、別の人の朗読や感想を通して聞くことで、それを「受け止める」という軸のリアリティをも生み出す。佐藤さんの朗読・感想からは、このようなプロセスが「過去の自分」と「現在の自分」という立ち位置からでも成立しうるのだ、ということを体感することができた。

shibaura-146_5839
撮影:冨田了平

日もすっかり暮れ、芝浦のビルのネオンが輝きだした頃、最後の朗読者、GOMESSさんが登場。GOMESSさんは、BAZOOKA!!!高校生ラップ選手権で準優勝したことで頭角を現した、即興で言葉を紡ぐ「フリースタイル」を得意とするラッパー。「すみません、ちょっと、後ろを向きながらでいいですか?」と、観客を背にして朗読が始まる。そのトーンには、まるでGOMESSさん自身の曲であるかのように錯覚してしまうくらい、迫ってくるものがあった。「僕が感想を喋ると、僕の言葉に変換されてしまうので、少しでも引っかかるところがあれば、もとの手記をじっくり読んでみてください。」と、少し恥ずかしげに語り、ライブへ移行していく。幼いころに自閉症と診断されたこと、それに伴う絶望、それでも生きていくしかないという、わずかな希望のようなもの。自らの経験をもとに、押し寄せてくるように紡がれる言葉は、HIV陽性者の方の手記とも、不思議な相似関係にあるように感じられた。

shibaura-157_5863
撮影:冨田了平

最後には、テーブルを囲み、お茶を飲みながら、感想共有の時間が設けられた。出演者のみなさまに、本日の感想をお聞きした。佐藤さんは、「言葉で理解するだけでなく、それを体感する大切さを感じました。」と語る。GOMESSさんは、「ライブという短い時間の中で、自分の感覚やものの捉え方が、ほんの少しだけでも変化し、その後の人生を生きていくことは、面白く、嬉しいことなのかもしれません。」と、齋藤さんは、「今日は、みなさんの言葉ではない言葉、小さなたたずまいや振る舞い、しぐさなどを観察して、そのことがとても新鮮でした。」と語っていた。

shibaura-184_5914
撮影:冨田了平

多様な背景を持つ朗読者が、多様な背景を持つHIV陽性者の手記を読み、それを声や手話・ラップ、たたずまいや振る舞い・しぐさなど、意識的/無意識的にさまざまな手段で表現し、「言葉」にしていく。それを「聴く」ことによって、いろいろな人々のいろいろな「言葉」が、頭の中でぐるぐると響きあいながら、自らの中に沈んでいくような感覚を覚えた。

私たちは、普段交わることのないような人々の「言葉」を「聴く」時、それはどこか遠くの関係ない人々のことだと、無意識のうちに思ってしまうことが多い。このような態度は、そのような人々とこれから共に生きていかなければならない、という身構えを持ってしても、いや、時にはそのような身構えを通して、深まってしまうということがしばしばある。

ある当事者の「言葉」が、別の人の「言葉」によって表現しなおされること。そしてその「言葉」が、さらにそれを聴いた自分自身の「言葉」と混ざり合うこと。このような、さまざまな人々のさまざまな「言葉」が混ざり合い、未分化のもののように思え、自らの中に沈殿していくような経験こそが、多様な人々が「もうすでに共に生きている」ことを体感する上で、重要なことなのではないだろうか。そして、これは、必ずしも双方向的な「コミュニケーション」であるとは言えないのかもしれないが、豊かな「対話」の形のひとつであると信じたい。

(石橋鼓太郎)


連載「フォーラム「対話は可能か?」を振り返る」
☆フォーラム「対話は可能か?」についてはこちらから

[1]前夜祭「幻聴妄想かるた」大会① 長津結一郎
[2]前夜祭「幻聴妄想かるた」大会② 東濃誠
[3]トークセッション「共に生きるということ」① 井尻貴子
[4]トークセッション「共に生きるということ」② 岩田祐佳梨
[5]「Living Together × 東京迂回路研究」① 石橋鼓太郎
[6]「Living Together × 東京迂回路研究」② 岩川ありさ
[7]シンポジウム「対話は可能か」① 三宅博子
[8]シンポジウム「対話は可能か」② 沼田里衣