多様性と境界に関する対話と表現の研究所

アートカウンシル東京

【連載】フォーラム「対話は可能か?」を振り返る――トークセッション「共に生きるということ」①

2015年10月29日

9月4日〜6日に開催したフォーラム「対話は可能か?」の振り返り連載。
第3回目は、トークセッション「共に生きるということ」について、研究所メンバー井尻によるレポートです。
*本連載は、フォーラムを多様な視点から振り返るべく、各プログラムについて研究所メンバーと参加者それぞれのレポートを交互に掲載していきます。
各プログラムはそれぞれにどのように経験されていたのか。あの場に身をおいた人は何を感じ、思考したのか。お楽しみいただければ幸いです。

 


 
トークセッション「共に生きるということ」  2015年9月5日

9月5日(土)の午後、光が差し込む空間でそのトークセッションは始まった。
ゲストは計6名。2名ずつが組みとなり、約30分ずつのフリートークを行う。
テーマは「共に生きるということ」。このトークセッションのタイトルでもある。
「さまざまな人の”生きること“に寄り添い、共にあろうとする、しなやかな場をつくっている実践者によるトークセッション。宅老所や託児所、アートプロジェクト、コミュニティセンターの運営などの実践から、「共に生きるということ」をテーマに、即興で語り合う」。ゲストは、ほぼ初対面。異なりながらも、同じくするところがありそうな人・活動をつなぎ、ここでしかない顔合わせを実現させ、「共に生きるということ」に迫っていく。これが、今回のトークセッションの目的だった。

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撮影:冨田了平

■プログラム■
1、加藤正裕(井戸端げんき)×長嶋元子(元子おばちゃん家)
2、荒木順子(akta)×高橋伸行(やさしい美術プロジェクト)
3、坂倉杏介(ご近所イノベーション学校)×吉川由美(ENVISI)
4、ディスカッション

最初に登場したのは、木更津の宅老所・井戸端げんきの加藤正裕さんと、伊豆大島の託児所・元子おばちゃん家の長嶋元子さん。司会の長津が話を切り出す。
どちらも、宅老所、託児所と称してはいるが、利用者を絞りきらない。その場を必要とする人なら、基本的にできるかぎり誰でも受け入れる場としてあること。そして、制度を利用しながらも、制度に縛られない仕組みを考えているといったこと。私たちが昨年度のもやもやフィールドワーク調査編のなかで気づいた類似点を述べ、改めてそれぞれの場が目指していること、相違点などについて話した。

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撮影:冨田了平

続いて登場したのは、新宿2丁目に位置するコミュニティセンターaktaの荒木順子さんと、全国で「やさしい美術プロジェクト」を展開する高橋伸行さん。司会は弊団体の三宅が務めた。
荒木さんには、「アジアでも最大といわれるゲイタウン新宿2丁目にあるHIV/エイズをはじめとしたセクシャルヘルスの情報センター」であるaktaのこと、HIV感染予防啓発プロジェクトのことを、オープンスペースとして活用される様子やデリバリーボーイズなどの具体的な活動事例を交えてお話しいただいた。
「やさしい美術プロジェクト」のディレクターとしてこれまで、ハンセン病療養所である大島青松園や、病院の緩和ケア病棟などでプロジェクトを行ってきた高橋伸行さんには、今年度新潟で開催された「水と土の芸術祭」の出品作品である「旅地蔵 阿賀をゆく」のお話を中心に伺った。新潟水俣病の発生地である阿賀野川を、足尾の石でできたお地蔵さんを乗せたリヤカーを引きながら徒歩で遡上し、草倉銅山を目指す旅。お地蔵さんのみた風景や出来事を記録し記憶する旅の途中に起きた、さまざまな人との出会いが語られた。
その場の人々に向き合い、彼らが抱える何かに寄り添い、活動をつくっていく様子が2人からは伺えた。

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撮影:冨田了平

最後は、ご近所イノベーション学校の坂倉杏介さんと、ENVISIの吉川由美さん。吉川さんは南三陸町で行っている「きりこプロジェクト」の話を、坂倉さんは東京港区で行っているご近所イノベーション学校、芝の家の話をいただいた。東京と東北という異なる地で行われてはいるが、地域の人の力を生かし行う地域づくりという点で共通したプロジェクトである。そうした活動を貫く志、思いに耳を傾ける機会となった。

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撮影:冨田了平

ディスカッションでは、参加者の方々から質問をいただきながら、ゲスト全員で話す時間をもった。

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撮影:冨田了平

以上が、トークセッションの概要である。
多様な活動。それぞれの内容や領域はもちろん異なる。が、トークセッションで語られた言葉は、私のなかで緩やかにつながっていったようにも思う。
ここからは、それらの言葉をもう少しずつ取り上げ、振り返りたい。

まずは、長嶋さんの「おばちゃんですから」という言葉。
これは、伊豆大島の元子おばちゃん家を訪れ行ったインタビューでも、幾度となく聞かれた言葉だった。「隣のおばちゃんをずっとやってきました」と長嶋さんは言う。昔、隣のおばちゃんがしていたようなことをしているだけなのだと。
「なーんも特別なことしてないのよ」。母親が外出しなければならない間、あかちゃんをあやす。学校から帰ってきた小学生を、ちょっと預かる。「なにかを我慢してやっているってことはないの」。
「おばちゃん」であるということで、いろいろな「こうせねばならない」を無化し「できることをできる範囲でする」という状況が許される場をつくり、運営する。それは「ちょっとお願い」と言いあえる関係をつくるということでもあるのだろう。

加藤さんの「許しあう」という言葉。
どんな場でも、ともにいるためには、「しあう」ことが必要だ。
向きあうこと、支えあうこと、助けあうこと。
加藤さんは大事なのは、「許しあうこと」と言う。
「いつの間にか、社会にすごく隔たりができるようになっちゃって。何かいろんな線引きができちゃっている・・・許すことができれば、そもそも何も気にせずに、共に生きられるような状態ができるのではないかな」。だから「安心できる場所」ではなく、「安心して不安になれる場所」っていうことをいつも考えているという。「自分の不安を出してもいいと思える方がなんかこう、生きてて楽かなっていうふうに思う」。そこで必要とされるのは、その不安になにかをしてあげることではない。ただ、その不安をいっしょに過ごすことなのだろう。

「aktaで気をつけているのは、メッセージでも何でも、上から啓発しますみたいにならないようにすること」。なにかをしてあげるのでなく「一緒に考えたり発信したりしていくこと」だと荒木さんは言う。
「HIV っていうものが外側からではわからないですし。偏見や差別がまだまだあるなかで、自分が陽性だということを、友達とか家族とか自分の環境で伝えるのがなかなか難しい。そういうなかで、HIV のことが見えなくなってしまうという現状があります」。でも、隣にいるかもしれない。今日もこのなかに何人かいるかもしれない。 living together Loungeは、陽性者やその周りの人たちの体験の手記や、それらの朗読などのさまざまな方法を使うことで、「見えないかもしれないけれども、HIVをもってる人はすでに共にいる」ということを伝えるプロジェクトだ。

高橋さんが続ける「目に見えないというところで。水俣病も、実は見た目にわからない症状を持っている方たちもたくさんいる。新潟水俣病は四大公害病の一つです。新潟の場合は、川の上流にあった化学工場からメチル水銀が流されて、それを蓄積した川魚を食べた人たちに起きました。見えない病状があるということ、その魚を食べてきたという、生きていくためにごくごく自然に体に取り入れてきたものを通して病気になってしまったということで、いろんな意味で言えない病気でもある」。そこで確かに起こったことが、見えないかたちで分断されていてしまった。その分断が、お地蔵さんとの旅のなかで見え出す。そして、再びつながり出す。
今回、歩く過程で偶然出会った方が、川を通じた自分の記憶や、辛い苦しい思いがあったことなどをたくさん話してくれることがあったという。「何て言うんでしょうね。僕自身が理解するっていう感じじゃないんですよ。なんかこう、しみ込んでくる。自分のなかにしみ込んでくるっていう感じがあって、それは同時に、お地蔵さんそのものにしみ込ませていく、そういう過程というふうにとらえてます」。

吉川さんは言う。きりこづくりのワークショップでは「亡くなった人のことも、みんなで、泣きながら笑いながら、話しているんですよ」。いまは離れた仮設住宅で暮らす人の話しもする。そこで出来上がったきりこを届けるときに「語られたことをこの紙と一緒に持っていきますよね。そのことで、たぶんその人は、生きる力をもらえると思うんですよ。つまり自分が生きていること、人様がみててくれるんだっていうことで」。特別な人の一生ではない。ただ、そこにそういう人がいた、その人の人生があったということを、見えるかたちにしていく。そうして、なんとはなしに、でもたしかに、たがいの暮らしを共有していく。そういう人たちが暮らすところは「こういう地域はいいな」と思える地域だろう。

東京で暮らしていると「地域で一緒に暮らしている人たちと関係を持つ必要がない、関わらなくても生きていけちゃうように一見思える」と坂倉さん。それでも、「芝の家のようにみんなが寄り集まって、とても小さなことを何回もやっていると、そのやっていることの積み重ねの裏になにかができていく」。それがお金などとは違う、「いろんな人を動かす力」になるのではないかと言う。
芝の家には、毎日のプログラムや接客マニュアルがあるわけではない。だから、「何が起こるかわかんないものに対して、コントロールできない現象にずっと自分の労力と時間をささげているようなもの」だ。だからこそ、思ってもみなかったことが日々起きていく、それは、誰かがもらったスイカを持ってきて、みんなで分けあって食べるとか、とても些細なことだ。でも「そう思ってなかったけど、こういうことがあってよかったな、みたいなことってすごく生きてる感がある。偶然や流れでこうなっちゃったねみたいな感じで、出来事や関係が流れはじめると、一緒にやっていることの内容はどうあれ、一緒にいる間、その場を共有できたり、お互いをコントロ―ルしあうんじゃないあり方ができるようになったりする。それがとても大事かな」。

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撮影:冨田了平

共に生きるということは、誰かと共にあるという気づきから始まる。それは、その人の生きることに関わりたいという強い思いから始まる場合もあるだろうし、偶然の関わりやそこから派生した関わらざるをえないという思いからはじまる場合もあるだろう。

そのとき、重要なのは、その誰かになにかをしてあげようとすることではない。
そうではなくて、その場にいっしょに身を沈めるようなことなのではないだろうか。そこでは、互いがどうにもならない存在としてある場合もあるだろう。違いが埋まらない溝を生むかのように思える場合もあるだろう。
それでも、互いが異なる存在として、異なるままで、それでも共にあろうとすることなくして、共にあることはできない。
その場に身を浸すことを続けるなかで、できてくる場もあるのではないだろうか。
鍋のなかに、しいたけや昆布を浸しておくと、少しずつ成分が溶け出て、水はいつしか出汁というものになっている。
共に生きるという場は、ときに、そんなふうに生まれていくのではないかなと思う。

(井尻貴子)


連載「フォーラム「対話は可能か?」を振り返る」
☆フォーラム「対話は可能か?」についてはこちらから

[1]前夜祭「幻聴妄想かるた」大会① 長津結一郎
[2]前夜祭「幻聴妄想かるた」大会② 東濃誠
[3]トークセッション「共に生きるということ」① 井尻貴子
[4]トークセッション「共に生きるということ」② 岩田祐佳梨
[5]「Living Together × 東京迂回路研究」① 石橋鼓太郎
[6]「Living Together × 東京迂回路研究」② 岩川ありさ
[7]シンポジウム「対話は可能か」① 三宅博子
[8]シンポジウム「対話は可能か」② 沼田里衣