多様性と境界に関する対話と表現の研究所

アートカウンシル東京

【連載】フォーラム「対話は可能か?」を振り返る――前夜祭「幻聴妄想かるた」大会②

2015年10月17日

9月4日〜6日に開催したフォーラム「対話は可能か?」の振り返り連載。
第2回目は、前夜祭「幻聴妄想かるた」大会について、参加者の一人、東濃誠さんによるレポートです。
*本連載は、フォーラムを多様な視点から振り返るべく、各プログラムについて研究所メンバーと参加者それぞれのレポートを交互に掲載していきます。
各プログラムはそれぞれにどのように経験されていたのか。あの場に身をおいた人は何を感じ、思考したのか。お楽しみいただければ幸いです。

 


 
前夜祭:「幻聴妄想かるた」大会  2015年9月4日

 幻聴妄想かるたをしているうちに、自殺してしまった友だちの重たい棺をかついだとき、中から「気にするな」と、とても明るくのんびりした彼の声が聞こえたことを、ふと、思い出した。そして、聞こえたことが私の真実であることを改めて思った・・・。

 都営三田線の改札から上ると、NEC本社を初めとする超高層ビルの町にでる。そこを北西に曲がると、なじみのある低層の住宅地にはいる。芝の家は、その一角で縁側が中からの柔らかい光で照らされている木造の建物である。50年近い年限を感じる4間半×4間半ぐらいの四角い板間は「待っていたよ」といってくれているようだ。すでに画面では、「幻聴妄想かるた」が映し出され、幻聴とおつきあいする導入部がはじまっている。

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撮影:冨田了平

 7時半ピッタリにNPO法人多様性と境界に関する対話と表現の研究所代表で、明るくて律儀な長津結一郎さんが口火をきる。「幻聴妄想かるた」大会は、この3日間のフォーラムの前夜祭であること、芝の家の運営主体(港区と慶応大学)、ご自身のNPO、そしてこのイベントゲストであり、進行役の精神障害者就労継続支援B型事業所「ハーモニー」の新澤(シンザワ)克憲さん、益山(マスヤマ)弘太郎さん、富樫(トガシ)悠紀子さんを紹介する。
 一般参加者と主催者、スタッフ、ハーモニーの方合わせて40人ちかい密度感と「お互いの幻聴や病気を聞いてもらう水曜ミーティングは、始まるまえに勝負がついている」と語る新澤さんの、緻密なステップアップコーディネートによって、「かるた」にむけて、きわめてスイッチが入り安い状況になっていく。
 まず新澤さんは、「まじめ」に幻聴とはなにかをパワーポイントで説明しだす。「6%の人は健康であっても聞いたことがある。」と健康な人もその世界に連続していることを、それとなく説明する。次ぎにお一人に立っていただき、幻聴のプロ、統合失調症である益山弘太郎さんが、後ろから耳元で、実際にあった友だちの幻聴を、会話をさえぎるぐらいの大きな声でささやく、というすごいステージ。その人の感想・・「フリーズしてドキドキした。学校にいくな、といわれたのが嫌だった」。お世話になっている大学教授の声で「大学にくるな」といわれたり、親友の声が「僕は友だちじゃない」など、自分が普段認識している世界に強く反対する声がある一方、宇宙人の女の子を助けたとき彼女がいった『世界で一番きれいな空気を吸わせてあげる。』というロマンチックなものまで、一人の人間の幻聴の多様性に驚く。そして、無意識の世界はどこか別の世界につながっているのではという不思議な気持ちになった。そういえば新澤さんの初めの説明に、沖縄のユタが挟まれていた。彼らは、別の世界の通訳者かもしれない。

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撮影:冨田了平

 そして幻聴カルタそのものをハーモニーの3人が連携しながら説明。たとえば「のうの中に機械がうめこまれしっちゃかめっちゃかだ」は、発信機が「のう」に埋め込まれて、自分の思ったことをどんどん発信してしまう、それをラジオ局が受信して全国放送してしまう。「おとうとを犬にしてしまった。」は、ほんとうに犬だとおもって、おとうとを左側につれて散歩していた。
 次は、益山さんが自己紹介するステージ。統合失調症とは何か、一つ一つははっきりしているが、みんな均等な重みで存在していて、優先順位や序列がない(バラバラともいえるが)、を体で示してくれる。
 「私は常に盗聴・監視されているから、それを逆手にとって大好きな静岡県を天井に向って宣伝しているのです。」という言葉を聞いたとき、「病気を受け入れる」というような生やさしいものではなく、挑み、天井にむかっても戦うことで「病気を自分のものにしていこう」とする大変な努力を思った。益山さんは、その努力ができる人であり、ごく普通の人でありながら、病気とも対話できる人だと思った。益山ステージのさいごに、ご自身の詩集の朗読。彼の広い世界がしめされた。

 ここから、幻聴妄想カルタ大会。5人6組に、それぞれに案内役が加わる。ならべられた20枚ほどの絵札。どんな幻聴なのかを考えているほうがおもしろい。私がほしいとおもったカードは、「振り返ったら自分がタマゴを生んでいた。」「テレパシーで宇宙人の女の子を助けた。」という妄想系で2つともゲットした。参加者それぞれがどんなカードをとったのか、参加者の今がきっと映し出される。グループごとにペースも雰囲気もまったくちがうのはこのためだろう。

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撮影:冨田了平

 自分の幻聴妄想かるたをつくってプレゼンする最終ステージ。怒涛の2時間はあっという間だった。わたしたちのグループが推薦した幻聴妄想かるたは「たましいランキング6位」。おじいちゃんがなくなったとき、聞こえた幻聴だそうで「おじいちゃんは、人生はたましいランキングをあげていって6位になったんだ」と解釈している。わたしが気にいったカードは、道のまんなかに落ちているSさん自身の赤いツバ広の帽子。自宅から直ぐの道端に忘れたものらしいが、「そこに置いておきました。」という感じで、なにげなくかぶった様子を今でも友だちにいわれる、そうだ。

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撮影:冨田了平

 人の幻聴妄想を聞いているうちに、自殺してしまった友だちの重たい棺をかついだとき、中から「気にするな」ととても明るくのんびりした彼の声が聞こえたことを、ふと、思い出した。そして聞こえたことが私の真実であることを改めて思った。先ほど話してくれた益山さんの盗聴・監視、幻聴が、益山さんにとっては「真実である」と、急に実感された。

 病気を受け入れることと、自分を受け入れていくことは全く同じである、と感じる。
 そこには、痛みを共有できる仲間がいて、安心して自分が自分で変だと思っているところをだすことができ、誰かがそれを絵にしてくれることで、(芝の家では自分でつくった「かるた」でカミングアウトし、「へー」といってくれる人がいて)、それを鏡として、病気や自分をみることができ、受け入れることができる。わたしは、自分の姿を映す鏡として、幻聴妄想かるたを体感した。
 益山さんが、病気を客観視してそれと付き合っている話は、ハーモニーのみなさんがもつ、鏡を用意する力を証明しているように思えた。

 2次会に移動するとき、新澤さん、益山さんと歩きながら話すことができた。「一つ一つの受け答えは、拍子抜けするほど確かだった」「病気と闘って従えることに、すごくエネルギーをつかっていて、なにげなく生きているぼくの3倍はつかっているとおもった」とお話しした。2次会の終盤、益山さんから、ぼくに詩集を買ってほしいというオッファー。詩集はすでに完売している。富樫さんがバックから個人のものをとりだしてくれ、益山さんがそれにサインをくれた。(再開発プランナー 東濃誠)


連載「フォーラム「対話は可能か?」を振り返る」
☆フォーラム「対話は可能か?」についてはこちらから

[1]前夜祭「幻聴妄想かるた」大会① 長津結一郎
[2]前夜祭「幻聴妄想かるた」大会② 東濃誠
[3]トークセッション「共に生きるということ」① 井尻貴子
[4]トークセッション「共に生きるということ」② 岩田祐佳梨
[5]「Living Together × 東京迂回路研究」① 石橋鼓太郎
[6]「Living Together × 東京迂回路研究」② 岩川ありさ
[7]シンポジウム「対話は可能か」① 三宅博子
[8]シンポジウム「対話は可能か」② 沼田里衣