多様性と境界に関する対話と表現の研究所

アートカウンシル東京

【週報】フォーラム「対話は可能か?」無事終了しました

2015年09月12日

 東京迂回路研究フォーラム「対話は可能か?」、9月4〜6日という3日間のプログラムを、無事終了することができました。ご来場くださったみなさま、ご出演くださったみなさま、そしてさまざまな形でフォーラムを支えてくださったみなさま、本当にありがとうございました。

 これまで1年半、こつこつと「迂回路」をさぐる旅をし、人々と小さな輪になって対話を試みてきたdiver-sionにとって、初めての、大きな催し。行く先々で、「あの場所とこの場所が出会ったら」「あの人とこの人が出会ったら」「こんな表現とあんな表現が出会ったら」と夢見たことが、現実となって立ち現れた瞬間でした。そしてそれは、私たちメンバーの予想をはるかに超える場でした。
 ある参加者の方は「全身の毛穴から入ってきて感じられるような」体験だったと話してくださいましたが、私自身、様々な体験や感覚や言葉が身体にとどまっていて、響き合ったり、ぶつかりあったりを繰り返しているところです。

 「幻聴妄想かるた大会」では、背後から語りかけてくる幻聴さんの声を聴き、ハーモニーのメンバーさんのトークと詩の朗読、そして参加者一人ひとりの幻聴・妄想をかるたにして発表する頃には、幻聴や妄想の世界が、すっかり今・ここの世界と地続きになったような気がしてきました。
 トークセッション「共に生きるということ」では、さまざまな場所で「共に生きる」ことを実践されてきたゲストのお話に、なにか通底するものがあると感じました。そのことが、境界とその変容に関わる言葉で語られたのが印象的でした。「枠」「分断」「境界」「内/外」、それを行き来し、ずらす「浸み込む」「流れ」「まなざしあい」、あいだに生まれる場や人の「寛容」「喜び・楽しみ」「リアリティ」…。
 ライブ「Living Together×東京迂回路研究」では、3人の朗読者によるHIV/AIDSの陽性者の手記が、手話、声、言葉という三者三様(四者四様?!) の方法で朗読された後、ライブへ。言葉が音楽になり、身振りが声を発し、すべてが「ことば」になる。その切実さに打たれました。
 「出張ふわカフェ in 東京迂回路研究」では、「カミングアウト」と題して、集まった人たちと「ふわっと」おしゃべりしました。居心地のよい空間で、お互いの違いを感じ、相手に思いを馳せ、そして自分を照らし返すような時間でした。
 シンポジウム「対話は可能か」では、静けさのなか筆談トークで始まり、それぞれの現場の言葉で、そこでの対話のありようが語られました。会場からの「今、この場所で、果たして対話は成り立っているのか?」という鋭い問いは、対話というものがまさに多層的で、交わり得ないかもしれないこと、それでも響き合う何かであることを、改めて実感しました。

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 きっと、一つひとつの言葉が終わるところで、始まり、交わされている「ことば」。まだ到底うまくまとまりませんが、言葉とことば、ことばと声、声と音と身振りを行き来しながら感じ、自らに問い返す時間だったような気がします。

 この感触をかみしめながら、また来週より、日常の小さな実践を続けていきます。
9月17日(木)19:00~ もやもやフィールドワーク報告と対話編・第8回
みなさまのお越しをお待ちしています。

(三宅博子)