多様性と境界に関する対話と表現の研究所

アートカウンシル東京

フォーラムへの集中連載①「対話は可能か?」

2015年08月04日

東京迂回路研究フォーラム「対話は可能か?」、開催まで1ヶ月と少しになりました。今年度最大のイベントとして行われるこの企画について、連載という形で紹介していきたいと思います。
第1回の今回は、このフォーラム自体のことについて。

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「東京迂回路研究」というプロジェクトを立ち上げて2年目になります。活動を通じて出会った多くの方々との出会いを通じて、このプロジェクトが目指すところが少しずつ見えてきたように感じています。そのうえで、このフォーラムには、「対話は可能か?」というタイトルを付けました。

この「対話」という言葉、実は、すべての人たちに大いに関係のある話だと思っています。

よく、社会の中で少数の立場にある人たちについて、「わたしたちが○○とこれから共に生きていくにはどうしたら良いのか?」ということを投げかける人がいます。しかし実は、少数の立場と多数の立場のあいだにある「境界線」が引かれる前から、わたしたちは、もうすでに共に生きているのです。多様な「一人ひとり」がいて、ただそこに境界線が引かれているだけなのではないか、と考えています。

たとえば、「障害者」と呼ばれる人たちのことを考えてみても、24時間365日「障害者」として生きているわけではありません。ある時には「女性」や「男性」として(もしくはそのほかの性のあり方を生きている人もいるかもしれません)、またある時には「○○出身の人」として、「○○歳の人」として、「血液型○の人」として、「○○という食べ物が好きな人」として…さまざまな境界線のなかに生きています。その境界線は、外から勝手に引かれてしまうものもあれば、自分で引くものもあるでしょう。

しかし、社会に目を向けると、多様な存在として生きていくことがむずかしかったり、困難を抱えて苦しんでいる人がいます。境界線は、人を守ることもありますが、人に何かの課題を突き付けたり、苦しめたりすることもあるようです。そしてときには、多数派であることを傘にして、暴力的とも言えるふるまいが起こってしまうこともあるかもしれません。

多様性と境界。この、ものすごく深遠なテーマを、実はすでにわたしたちは皆抱えながら生きています。そして、境界線を目の前にして、生きづらくなってしまう状況に接して、どのように生き抜くことができるのだろうか、とわたしたちはつい考えこんでしまいます。
しかし、境界線はずっと動かない壁のようなものでもありません。社会の状況や、価値観が変わってくると同時に、境界線もまた動き始めます(ここ数年の「LGBT」という言葉の急速な波及のように)。
そして、境界線を前にして生き抜いていくための技法を、実はさまざまな実践が教えてくれているのだ、ということがわかってきました。
あるときには福祉施設で、あるときには市民活動で、病院で、コミュニティスペースで…やむにやまれず、さまざまな方法を使いながら、なんとか生き抜いていく人たちに、私たちは出会ってきました。その技法のことをわたしたちは「迂回路」と呼んでいるのです。

境界線のあちら側とこちら側で起こっている日々の出来事や、そこにある独特の雰囲気、空気感や、そこにある表現や文化、空気感に目を向けること。そのことが、「あの」境界線だけでなく、「この」境界線ではどのようになっているのかを想像すること。そうやってそれぞれの同じところとちがうところとを想いながら、そのようなことは微塵も想像していない対岸はるかかなたの人々に、境界線のことをどのように伝えられるのか試行錯誤すること。
そのようなことを目指すのが、「対話」です。それぞれの実践に埋まっている「迂回路」を掘り起こし、異なる実践を出会わせることで何が起こるのでしょうか? そこに「対話」は可能なのでしょうか?

「対話は可能か?」というテーマは、少数派の人たちがこれからどう生きていくか、ではありません。もうすでに共に生きている、多様な人どうしでどう生き抜いていくのか、ということです。
異なる人々同士が出会い、「対話」することは可能なのか、そして、なにを可能にするのか。みなさんと一緒に考える時間にしたいと思っています。

次回からはプログラムの紹介をしたいと思います。

(長津結一郎)

★フォーラムへの集中連載
①「対話は可能か?」
②前夜祭『「幻聴妄想かるた」大会』
③プログラム1『トークセッション「共に生きるということ」』
④プログラム2『ライブ「Living Together × 東京迂回路研究」』
④プログラム3『ふわカフェ in 東京迂回路研究』