多様性と境界に関する対話と表現の研究所

アートカウンシル東京

「JOURNAL 東京迂回路研究1」を読んで

2015年05月12日

はじめまして!今年度よりdiver-sionにインターンとして参加させていただいております、石橋鼓太郎と申します。東京藝術大学音楽学部音楽環境創造科の学部4年生で、学校では市民参加型の音楽プロジェクトについての実践と研究をおこなっています。どうぞよろしくお願いします!

さて、インターンスタッフとしての初仕事!ということで、diver-sionの昨年度の記録集「JOURNAL東京迂回路研究1」を読んだ上で、思ったこと、感じたことなどを、つらつらと書かせていただきたいと思います。

「多様性」と「境界」というキーワードについて、私が日頃から感じていることは、「境界」を全く引かずに「多様性」を尊重する形で他者と接することはなかなか難しい、ということです。例えば、電車で外国語が聞こえてきた時、私は「あ、外国人がいる」とどうしても思ってしまいます。特に差別感情はないつもりなのですが、そのように思ってしまうことそのものが差別なのではないか、そしてそれが誰かにとっての「生きづらさ」につながってしまうではないか、さらには自分も何らかの形でそのように見られていることがあるのではないか、などと思い、自己嫌悪に陥ることもしばしば。

しかし、このJOURNALを読むと、そのような「境界」をずらしたり、揺さぶったり、あるいはその「境界」を超えたところで他者と共感したりすることにより、「多様性」を実感することは可能である、ということが、あらゆる事例を通じて見えてくるように感じました。

いくつか印象に残った言葉を引用してみたいと思います。

まず、LGBTの里親制度に関する活動をおこなっている「RFC(レインボーフォスターケア)」の代表、藤めぐみさんの言葉。
「だんだん私は、マジョリティ/マイノリティの境界線など本当は存在しないのではないかという思いにとらわれていった。そこにはグラデーションがあるだけではないか、と。」

続いて、千葉県木更津市にある宅老所「井戸端げんき」の管理者、加藤正裕さんの言葉です。
「不器用でいろんなところを追い出されてきたボクが追い出されないようにするには、まずはボクが誰も追い出さないってこと。だから誰でも受け入れるし、排除もしない。そうしている限りはきっとボクは追い出されないだろうって思っている。」

本冊子で取り上げられている事例では、制度からの逸脱/その再解釈、独特の空気感を持つ場づくり、「個」同士の関係性の重視など、さまざまな仕掛けによって、人間がどうしても引いてしまう「境界」をずらしたり、揺さぶったりしています。このような仕掛けを通して、誰かが生きづらさを感じている、ということを、「マジョリティ」と「境界」で隔てられた「マイノリティ」の問題として扱わないこと。そこには「多様性」によるグラデーションがあるだけだ、ということを実感すること。そして、そのような考え方や感覚の転換を通して、多様な他者とともに受け入れ合うこと。このようなことが、誰かが生きづらさを感じた時の、生き抜くための「迂回路」の探求において、必要とされているのではないでしょうか。

そして、この冊子を読むと、東京迂回路研究における「対話型実践研究」も、そのような事例について調査し、対話の場を設けることで、他者との間にある価値観の「境界」を揺さぶり、参加者が自分自身の「迂回路」を探せるようなデザインがなされており、扱う事例と入れ子構造になっていることが分かります。

今年度は、このような活動をさらに深め、広げていくべく、さまざまなプログラムを計画中です。昨年度と同じくさまざまな施設/団体を調査しつつ、さらに研究的な視点を深めたり、現場同士の声をつなげたりするような、新しい試みも目下進行中です。詳細は後日、webにアップさせていただきます!

今後も何度か週報に登場させていただくかと思いますが、どうか温かい目で見守っていただければと思います(笑)。ではまた!

インターンスタッフ 石橋鼓太郎